フリートークでおハナシ。〜ピアノで遊ぶ〜
まいど、いおりんでござい。
今日はフリートークということで、ちょっと短めの小話でも。最近、電子ピアノで遊び始めたんだよ。昨日は「ねこふんじゃった」が弾けるようになった。
ギターもそうだし、電子ピアノも、ゴルフとか他の多くのこともそうだけど、私は「上達するまでの過程も遊ぶ」というのをわりかし大事にしている気がするね。
というのも、こーいうのって、「上手くできた」が全てじゃないから。むしろ、「上手くできない」ってところに楽しくできる要素があると思うんだよね。
例えば「ねこふんじゃった」にしても、私は楽譜だけ見て、あとはぜーんぶ自分で試したよね。もう最初は音譜見てもお手上げでさ。だって、「どの音譜をどの指で弾くのか」とか「どの音譜を左手で弾くのか」とかわかんねーじゃん!そこではじめて「ピアニストってハンパねーな!」って気付く。自分が歩こうとしてる道の険しさに笑いが込み上げてくるよね。
んで、「この音譜はやっぱ左手だな!」とか「あっ、ここで腕をクロスさせて弾くほうが楽なんじゃねーか」とか、そーいう気付きを色々試す。それが楽しいじゃん。
今の世の中、多分インターネットを使えばいくらでも「答え」は転がってるでしょ。例えばギター弾きたい人はいきなりギターの弾き方をインターネットで調べて「答え」を見つけようとするでしょ?違うんだよ。別に試験受けるわけじゃなくって、自分が面白がるだけなんだからさ。答えなんて、散々遊び尽くした後に見ればいーの。
散々遊び尽くした後に「答え」を見れば、そこで「うわ、この答え賢いな!」とか「おっ、この答え、私と同じじゃん。さすが私!」とかまた楽しめるじゃん。それが遊びなんだよ。遊びは過程だから。答え通りできなくてもいーんだと思うよ。
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遊びはあくまで「如何に自分を楽しませるか」なんだからね。ギターだのピアノだのゴルフだのも全部、「お前はオレを楽しませるためにあるんだからな」って意識が大事だと思う。まるで忍耐のように接しちゃもったいないよな。
ばいびー☆
四国にも、行きたくなってきた。