イオリン手記

Stay Gold, Ponyboy.

フリートークでおハナシ。〜他人の気持ちは自分で決めるしかないよな。〜

まいど、いおりんでござい。 今日はフリートークということで、何を書こうかな。 最近、周りの人たちを見て、「みんなしっかりとした熱量で他人と接しているんだなぁ」と感心することが多い。 私は基本的に他人を信頼していないし期待していない。言葉にすると酷いかもしれないけれども、結局、他人は他人でさ。「自分が一番自分を大事にしている」っていう私自身の哲学を他人にも適用しているだけで。つまり、友人だろうと「そいつが一番大事にしてるのはそいつ自身だろ」って考えているわけさ。だから、いつか私は軽視されてしまうだろうし、それで良いと思っている。 私だって、本当に自分が辛いときは友人のことよりも自分のことを重視するしさ。だって「この私」を感じられるのは自分自身しかいないわけで、極論を言えば「意識を持っているかも分からない他人」のことのために自分の幸せを犠牲になんかできないよ。 だから私が他人に優しくしたり何かを伝えたりする一番の理由って、「自分で悦に入るため」なんだよ。友人が困っているのを助けるのはその友人が可哀想だからとかじゃなくって、「困っている友人を助けない自分を許せないから」「友人を見捨てる自分を許せない」でしかない。 でも、それが「優しさ」という形では一番健全だと思っている。 だってさ、結局「友人が困っているから助けるんだよ!」って言う人だって、「友人が困っているように見えている」ってだけで、友人が本当に困ってるかはわかんねーじゃん。他人が本当にどう思っているかなんて一生分かんないんだから、他人に「優しさの根拠」を置いたって解決しないんだよ。 長い道を歩いて帰らないといけない友人に「歩いて帰るなんて大変だ!車に乗せてあげよう!」って思ったとして、もしかしたらその友人は「歩いて帰りたいんだよ」って思っているかもしれない。女の子と飲みにいったときに「全額おごってあげよう!」って思ったとして、女の子としては「ちょっとくらい払わせてよ、対等じゃないの?」って思うかもしれない。勿論、「全額払ってくれるなんて、ステキ☆抱いて☆」って思うかもしれない。 結局、他人の気持ちに答えはないんだよ。だから他人がどう思っているかなんてどーでもよくって、「私が車に乗せてあげたいんだ。お前のためじゃねーよ!」とか「私が全額払いたいんだ。お前の気持ちなんて知らねーよ」とかのほうがよっぽど健全だと思うわけだ。 まぁ、幸運なことに私が元来「他人を無碍にできない」っていう性質をある程度持っていたからこそ、とれる立場だけれどね。私が「他人を無碍にしても心を痛まない」って人間だとしたら、今ごろ刑務所入っててもおかしくない。私、例えテレビゲームでも、他人(コンピュータ)に酷いことできないからね。ははは。 〜〜〜〜 まぁ私も最初っからこんな割り切れる人間だったわけじゃなくってさ。昔は他人を信頼していたし期待もしていた。でも、私が良かれと思ってやったことが迷惑だと思われていたり、相手の言葉が全く本心と真逆だったことがあったりしたわけさ。 で、「なんだよ、結局他人がどう思ってるかなんて分からへんやんけ」って思って。確かめようがない。精神論じゃなくて、原理的に不可能なんだよな。だから、自分の行動の根拠を他人のブラックボックスに持つよりも、自分がどうしたいかだけで生きた方が楽だよなー、と考えたわけだ。 一見、冷たいように思うかもしれないけれど、ある意味では自由な世界だよ。だって、相手がどう思っているかを自分で決めていいんだから。究極的なとこでいえば、「お前マジうぜーよ」って言われても「いやいや、心の中では私のこと好きなんだろ」って思っても、どっちが正解かは確かめられないんだよ。まぁ強いハートはいるけどな。 そういう意味では、とっても自由な世界を身につけたかもしれない。「原理的に解明不可能な世界」ならば、それは自分で決めつけていいんだから。少なくとも、他人の気持ちなんてものを伺っていたころより今は自由だよ。 〜〜〜〜 あれ、こんなところにハナシを着地させるつもりはなかったんだけどな。まぁなんか中身あるような感じになったからいーか。それじゃ。 ばいびー☆ 猫の気持ち分からないでしょ?一緒。
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