イオリン手記

Stay Gold, Ponyboy.

すとれんぢあ

今日、友人らの、ちょーっと嫌な部分を見てしまいました。 十人十色とは良く言ったもので、人間それぞれ違う味を持っていると思います。 誰かと仲良くなると、その度に「こんな人間もいるのか」などと思います。 それだけ色々な人間がいるなか、悲しいですが「合わない人」もいます。 悲しいですが、それは仕方がないことだと思っています。 僕は人類皆友達になれるなんて思っていません。 むしろ、こんな色々な人間がいるのに、自分の友達だけいい人だなんて そんな都合の良いことはないと思います。 親兄弟でさえケンカしたりするんですから。 僕はそういう違いに関して悲観的になることはなくて、悪く言えば諦観的です。 もうそれは仕方のないことで、どっちが悪いとかそういうことはないんだと考えています。 ですが世の中、そういうわけにはいかない人がいるようです。 その人が悪いことをしているわけではなく、自分と違うだけ。 ただ、自分が理解できないだけの人間を貶したり、嘲笑ったりしたりしてしまう人。 そういうのは世の中で結構いるようなんですね。 そして、やっぱり、「自分の友達にはそういう人間はいない」なーんて、 都合の良いこともやっぱりないわけでして。 むしろ「目立っている人」をネタにして楽しむ人は結構いると思います。 昔から「変人」「不思議君」「意味がわからん」等々言われてきた僕としては、 そういう行為はやっぱり許せません。 実際、僕は変人の部類なんで、今更それを言われようが構いません。 「B型野郎」とでも言われているような感じで、「その通りです」としか思いません。 でも子どもの頃は「他とは違う人」「おかしい(=可笑しい)」と言われ、 そのことでいじられたり、貶されたり、笑われたりするのは結構辛いものでした。 まるで自分が欠陥品か出来損ないかのように扱われている気がするのです。 根幹部分、行動心理から「おかしい」と言われ、何をするにも笑われる。 そういうのって、慣れないうちは結構辛いものです。 僕は今、自分がどんな変人奇人だと言われ罵られようとも構いません。 別にそれを言われることで何の感情も抱きません。 そういうのが友達関係に影響することは(少なくとも僕は)ありません。 でも他の人にそういうことを言うのはやめてほしいなぁ、と思います。 少なくとも、僕が近くでいる場所では言わず、完全に陰で言ってほしいものです。 「陰口なんてなくなってしまえばいい」というのもまた、 都合が良すぎる願いだと思います。 こういうのをブログに書いていることもまた、陰口のひとつでしょうしね。 そう考えると、僕は嫌な性格だなぁ。
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