経過や意志が意味を持つのは成果があったときだけだ、ってハナシ。
まいど、いおりんでござい。
11月より茅ヶ崎市に引っ越しました。元鎌倉人、今は茅ヶ崎人です茅ヶ崎も魅力はきっといっぱいだと思うんで、色々探索しましょーかね。
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さて。
最近は「脱サラ」なんて言って、サラリーマン(労働者)を辞めて、自分が元々やりたかったことを追い求める人が増えてきている気がしますね。私がそーいう人の集まるコミュニティにいるからかもしれない(今いるシェアハウスはレールを外れようと努力している人が多いです)。
一見すると、「やりたいことを追い求めている」と言うとかっこよく見える。「自分のカフェショップを持つために見習い修行をする」だとか「海外で働くために1年間留学する」だとか「1人で生きていくために副業をはじめた」だとかいうのはかっこよく見えるよね。
ところがぎっちょん。
一昔前には、夢を追い求めている人っていうのはどっちかというとカッコ悪く見えていた。「売れないバンドマン」だとか「美容師志望」だとかいうのは、「現実を直視できていない人」っていうような印象を与えていたし、多くの人から反対を受けていた。
この「かっこよく見える夢追い人」と「みっともない夢追い人」との違いは何か。
それは偏に「成果」の違いだと思う。
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よく、「夢を追っているその姿勢が大事」だとか「成果じゃなくて、経過こそが大事」だとか言うけれど、夢を実現させたいのなら、成果は超大事だよ。というか、経過や意志とかが意味を持つのは、成果があったときだけです。
(「経過」と言われているモノが成果足り得る場合もある。)
売れないバンドマンがなぜ駄目な人に見えるのか。それはほぼ間違いなく、「売れてないから」です。売れないバンドマンは何も成し遂げていない。何も成し遂げていない以上、彼は夢を追っているんじゃなくて、絵空事と戯れているに過ぎないわけ。だから現実を見ろとか言われちゃう。
売れないバンドマンを例に出したけど、「何も成し遂げていない夢追い人」は絵空事と戯れているだけです。やりたいことがあるなら、さっさと動いて成果出すべし。
成果=成功ってわけじゃないよ。要するに、夢への礎となる結果ならばソレは成果なので、失敗してもいいからどんどん成果を挙げていこう。
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あと、成果を求めるあまり、夢とはほとんど関係ない成果を得ようとするのも危なげです。
例えば、社長になりたい人がサラリーマンとしての成果を挙げ続けるのはあんまり意味ないです(せいぜい1年〜3年くらい?)。そんなことするより、さっさと独立するか社長の付き人になって、社長系人脈を増やしまくるとか、そーいうほうがいいです。
ちゃんと計画立てて動こう。
関連: 大層な夢を漫然と追っているだけで満足していないか、ってハナシ。 | イオリン手記
ばいびー☆
こーいうのも、日本特有な風景なんじゃないかな。
