イオリン手記

Stay Gold, Ponyboy.

たとえ明日が来なくても幸せでしたと言えるように生きるハナシ。

まいど、いおりんでござい。今年の冬は、顔を出しては引っ込めての連続だね。風邪引かんよーにね。 さて。 私の楽天主義って、根っこのところをつきつめていくと「超ネガティブ」から来ているなー、と最近感じる。 〜〜〜〜 先日、北朝鮮が長距離弾道ミサイルの発射実験を強行したとのことで国際社会がどよめいてるね。 参考: 北朝鮮が長距離弾道ミサイルを発射:日経ビジネスオンライン 皆さんがこーいうニュースを見てどう感じるか分からないけれど、私はこーいうのを見ると「私の真上にミサイルが降ってきてもおかしくないよな…」と感じちゃうんだよね。 昔っからそーいう風に考えるタチでさ。死の可能性を考えちゃう。高所恐怖症だったり絶叫系アトラクションを楽しめなかったりするのも、「最悪死ぬよな…」って考えてしまうから。身体が死に対して身構えちゃうんだよね。例えば私、線路の踏み切りを渡るのもすんげー怖いです。駅のホームで電車が通過するのも怖い。当たったら死ぬじゃん。 (だから、映画やゲームでめっちゃ高所のシーンがあっても、あんまり怖くないです。死なないので。) そーいう、直接死の可能性が目に見えなくっても同じで。例えば道を歩いているだけでも、いきなり車が突っ込んできて死ぬかもしれない。いきなり某国のミサイルが降り注いでくるかもしれない。いきなり隕石のカケラが頭に直撃するかもしれない。いきなり某国の自爆テロに巻き込まれるかもしれない。 もちろん、ずーっとそんなことを考えているわけじゃないけれど、こーいう北朝鮮のミサイル実験のニュースとかだったり、台湾の大地震のハナシだったりを知るたびに「そーだよな。人はある日突然死ぬよな。」って考えるんだよね。 「死」は行き過ぎだとしても、例えば階段でこけて両腕骨折だとか、モノが目にぶつかって失明だとか、そーいうことは起きるかもしれねーじゃん。明日なんて本当にわかんねーんだよ。 だからこそ、まさに生きている「今」こそが大事だと考える。よく「明日なんてまだ来ていないから考えなくていい」ってのは聞くけど、私の場合、「明日なんて来るかどーかすらわかんねーから考えなくていい」なんだよ。 〜〜〜〜 もちろん、明日のことを全く考えないわけじゃないけどさ。楽しい「今」が明日も訪れるように、って努力はするけどさ。でも、明日のために今を犠牲にしたら元も子もねーな、って考えてるんだよね。 つまるところ、明日に対するネガティブが行き過ぎて、匙を投げちゃったんだよね。「もう無理だよこれ!」って。だから、「今」をとにかく楽しむことにしてる。 今この瞬間、「楽しい!」とか「素敵だ!」って思えたら、その瞬間ミサイルが降ってきて死んでも、後悔しなさそーじゃん。 ばいびー☆ ハワイで何年か過ごしてみたい。
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