イオリン手記

Stay Gold, Ponyboy.

処世術とかで人間を解明したくない、ってハナシ。

まいど、いおりんでござい。 さて。 最近、人間を解明したくないんだよね。 それはここ1ヶ月か2ヶ月くらい、気持ちがすごい沈んだ事と関係があってね。 先日も友人が喋っていたけれど、今の時代って実は「人身掌握術」とか「処世術」とかがすごい発展してんのね。例えば「相手に意見を通す時Aっていう方法とかBっていう方法とかを使い分けていけ」とかね。人間の心理状況なんかの研究もすんごい進んでいて、「こうすれば人を操れる」みたいなのが本当に有用な時代なんですよ。 だから本気出せば「相手がなぜこう考えたのか」「こーいう時はどうすればいいのか」っていうのは、8割方決まってくる。もちろん相手の性質によってやることは調整せなあかんから一辺倒のことをやっとけばいい、ってわけじゃないんだけどね。でも、ある程度の法則に従うわけですよ。それこそ「返報性の原理」とかは利用しやすい人間の性質ですよね。 でも、それってすんごいつまんなくないですか?人間とのやりとりで何がおもろいって、不確定要素がめちゃんこあるからでしょ。自分が思うように動かないとか、自分が想像していない動きをしてくれるのがおもろいとこでしょ。それを「そーいう時はこういうテクを使えば思い通りに動く」ってなっちゃえば、そこに人間味はないよね。 だから最近はそーいう処世術は意図して身につけないようにしてます。そんなんオベンキョするより、1人1人にしっかり接していって自分で身につけていくことがおもろいんちゃうかとね。処世術、人身掌握術とかに関しては「やめてくれ!それ以上人間を解き明かしてつまらんもんにせんといてくれ!」って感じですよ。 〜〜〜〜 処世術とは別に、ただの学問として「人類とはこーいうモノである」っていうのを知るのはええんですけどね。それを自分の人生にまで持ってきたら何もおもろないなーと。 元々私は「人間って何なの?」っていうのを勉強して、それを実験するのが好きだった。 例えば「単純接触効果」ってあるでしょ。接した回数が多ければ多いほど好感度があがるよ、みたいなヤツ。私は実際にアレを試して、「うわ、ほんまや。接触回数増やしていけばどんどん仲良くなれるやん」みたいなことを実験するんですよね。ヤなヤツ。わはは。 でも、そーいうのを試していくうちに、「なんやおもろないな」ってなってしまう。結局人間も一定の法則に従って動くだけのモンかいな、と思ってしまうんですよ。だって、本当にそうだから。基本的には接触量を増やせば気に入られるし、何らかの貸しを作れば、何かしてくれるし。 そーなっていくと、「なんやねん。心とかあらへんのか」みたいな。自分で実験しといて自分で失望するってほんとヤなヤツ。まーだからたまに、そーいうの裏切ってくれるとどこか嬉しいんだけどね。「おぉ、接触量増やしても全然仲良くしてくれへんやん!何やねんこいつ!」って。ははは。 いやまぁそんなことは置いておいて。 そういう処世術は人付き合いで使っていくと、ほんと虚しくなるんです。だって、相手のこころに向き合ってないでしょ。相手の仕組みに対して向き合っているだけで、相手のこころには向き合っていない。だから、「仕組み」として好かれただけで、「こころ」として好かれたわけじゃない、というか。わかります? 相手のこころに向き合うんだったら、そーいう処世術抜きにして、「相手はどういう人なの?」っていうのを考えんといかんですよ。こーいう知識は、大衆に対して語りかけたり商売かましたりする際に使うべきなんですよ。絶対人付き合いで使うべきじゃない。人付き合いがつまんなくなります。 〜〜〜〜 人間の面白いところは、やっぱり自分の思いも寄らないようなことをしてくれることだと思うんですよね。まぁ思いも寄らないイヤなことされたら、それはどーなん?って思うけど。自分の想像を超えたワクワクをくれる人はやっぱり素敵だよね。 いやまぁ人間以外でもそうなんだと私は思うけれどね。機械とかでも、どんくさい機械とか、無駄機能ついてる機械のほうがかわいいでしょ。 ばいびー☆ 時折むしょーにつけ麺が食べたくなります。
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