2024年を振り返る。仕事ver.
今これを書いているのは2024年の12月14日。まだ仕事納めをしていない段階だ。いつもは30日とかそのあたりに書いていた気がするけれど、今年は仕事について振り返るような時間、時機があって、今筆をとっている次第だ。
また別で振り返りを書くかもしれないけど、今時点で思っていることを書き連ねる。
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今年一年も賑やかな日々だった。僕は相変わらず「1年が早い」という感覚は全くなく、妥当な長さだったと思う。
一方で、自分が仕事でやりたいと思っていたことは何も進んでいないことに落ち込む。これは毎年だけれど、今年もダメだったか・・・と性懲りも無く落ち込んでいる。
多分、自分がちゃんと時間を確保できていたのは2月、9月〜10月くらいしかなかったんじゃないかと思う。7月〜8月もまだマシだったけれど、結局は仕事で頭がいっぱいになっていて狩猟免許に時間を割くことができていなかったから、夏〜秋にかけて、いっぱいいっぱいだったんだと思う(狩猟免許は狩猟機関に入る前の6月〜9月ごろに数回だけ開催される)。
「1ヶ月完全に時間がとれたわー」というのは2月しかなかったんじゃないかな。その辺りは色々な構想を立てていた。短期と長期の両方から計画を立て、チームの方向性、企画の方向性などを語っていたと思う。
でも、結果的にそれらを進めることはほとんどできなかった。
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僕は去年あたりからずっと、「組織における自分の影響力を最小化したい」と思っていた。僕は誰かと一緒に仕事をするということに向いていない。何かを依頼するにも気にしすぎな性格が災いして長時間なやんじゃうし、ストレスも大きい。それに経済的なサイクルというのもあんまり興味がない。だから、誰にも気づかれない場所でひっそりモノづくりをしていたい。それが僕の理想だ。
一方で目端が利くから、企画を見て足りないところや会話できていないところ・・・僕なりに言えば「うまく流れていないところ」を見つけて、うまく流れるように色々なところに働きかけるような仕事がとても多い。さまざまなところから相談を受けて中に入り、なんとか流れるようにする。もちろんそれで評価もいただいているんだけど、本来やりたいことであり、期待されていることでもある「モノづくり」の部分は進まなくて、それがとってもストレスだった。
これは社内でも公言してきたし、実際「モノづくりに割く時間を作るために、それ以外を他に投げる」ということを去年から今年に至るまで何度も試してきた。でも、毎回2ヶ月ほどでそれらの試みは失敗に終わる。「この人がやってくれることになったよ」「考えてくれるように言ったよ」というハナシで収まっても、後になって「うまくいってないのでイオリンさんお願い」と返ってくる。この繰り返しだ。
これは別に会社やその請け負った人がどうのというわけでもなく、おそらく僕の能力が「非凡」なのだと思う。
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ここでいまさらながら僕の仕事についてざっくり説明する。
僕の仕事は、会社における製品において「その製品がうまく回るようにするための運用=オペレーションの仕組み」を考えて、その方面での企画・デザインを行うこと。それが僕のモノづくりだ。
僕らの製品には、それをちゃんと運用してくれる方々がいる。そうだな、例えば僕らがパン屋さんをやっていたとしたら、パンを焼いてくれる方、売ってくれる方にとどまらず、パンの材料を運ぶ方や材料の在庫を管理している方、機材の整備をする方などいろんな運用してくれる方がいるわけだ。
プロダクトデザインは単なる「おいしいパンの作り方」にとどまらず、「パンの製作工程のオペレーション構築」がセットになる。僕の仕事は後者で、昔ながらの運用しているのを分解・再構築したり、自動化を仕込んだりするような仕事だ。
一方で、僕が計画構想を立てて運用チームと相談していたところに、商品開発部門から「新しく "イチゴピザパン" を売り出すことにしたから、よろしく」とイチゴピザパン製造マシーンと値段だけが送られてきて運用チームが困惑している、みたいな相談が入ってくる、と。ノリで言えばこんな感じ。(実際はここまで雑ではないけれど話を単純化するために雑に定義しています。)
こういったのが矢継ぎ早にやってきて、そこで僕が駆り出されて「営業許可証的にアリか確認する」「アレルギー表記を整える」「材料確保の流通ラインを定義して運送会社に営業をかける」などなどをやってオペレーションに落とし込んだり、イチゴピザパン製造マシーンに改良を加えたり説明書を用意したりといったことしているわけだ。
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まぁその瞬間その瞬間で精一杯やってきた。実際に感謝いただいたり頼っていただいたりしている。
でも、一方で当初建てた計画はほとんど達成されてはいない。僕が「このパン屋さんで働くみなさんがもっと楽しくなるように」と考えたオペレーション案は1ミリも進んでいない。上述した相談事を受けて色々解決している合間で色々やらないといけないので、小さい改善しかできていない。毎月のように「ごめんなさい」をする日々。
そしてそれ以上に、先日参加した忘年会が個人的に大きかった。運用やお客さんサポートなどをしていただいている皆さんと会話した時に「毎日大変だよね」という話はあれど、ワクワクするとか、仕事しててハッピーとか、そういう話はあんまり出てこなかった。
それはやっぱり、僕としては不甲斐ないなと思ってしまう。もちろん、他責に逃げることはいくらでも可能だけれど、それをしたところで目の前の彼ら彼女らが幸せになるわけじゃない。不安の中、毎日一生懸命頑張ってくれている彼ら彼女らに対して、なんて無力なんだろう。
今2024年が終わる際(きわ)になって思うのは、「周りのみんなに夢や希望を見せられるくらい強くならなきゃ」ということだ。イチゴピザパンの試作が届いたときに現場がワクワクするような状態にするには、僕の動かす馬力を圧倒的にしないといけない。そのためには「団体戦」で戦える必要がある。
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これ以上大きな馬力を出すには、僕個人の力ではできない、という実感がある。構造的な問題で、僕個人の力で出せる馬力には限界がある。特に組織的な影響力が必要な以上、団体戦に挑むしかなくなる。
正直なところ、その結論になるのが嫌だった。だって苦手だ。
僕は良くも悪くも放任主義だ。「僕は僕の人生」「あいつはあいつの人生」というのが根っこにある。僕は僕には苛烈になれるけど、他者にはなれない。上述した想いも僕の想いであってみんなの想いではないし、僕の想いを強要したい欲求もない。責任も持てない。僕は僕の人生を、あいつはあいつの人生を精一杯生きればいいと思っている。
そうやって他者の存在というものをある種「軽んじる」ことで自分の人生の安らかさを保ってきた。僕は他者と向き合う時、「真剣に向き合う」という以外の選択肢を持てないから、仕事では他者とはなるだけ記号的にしか向き合わないようにしていた。そうした記号・パラメータの中で合理を結ぶのが僕の仕事のやり方でもあった。
団体戦なんで背負ったら、それはもう安らかな生活とはしばらくおさらばしなきゃいけない。「自分のベストを尽くすだけ」というシンプルな世界に別れてを告げて、完全に把握することはできない「他者」に対して試行錯誤を繰り返し、時には諦めながら混沌の中を戦っていく、という地獄。
去年も少なからずその地獄を味わって、だからこその「安らかに生きていきたい」だった。この地獄からは離れた方がきっと幸せだろう、と。そうして日々、太陽が昇って落ちるように生きていくことが、僕個人としての理想だった。
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僕は静かに安らかに生きていきたい。去年の年末も書いたけれど、できれば経済活動から離脱して安らかに生きていきたいと思う。苦手なことからは解放されて、山の奥で静かに犬や猫や馬や鳥と静かに生きていきたい。その上で、「他者」という不安定な存在は人生の重要なファクターとしては排除していきたい。
だからこそ、上述したように影響力を減らそうと思っていた。誰も僕のことをそんなに意識せず、その状態で肩の力を抜いたまま僕ができる範囲内でのベストを尽くしてモノをつくりつづける。それが理想だった。
でも、「そんな生やさしいこと言って、目の前で大変そうにしている彼ら彼女らを見過ごすのか?」という思いが、今は芽生えている。「向き合わなくていいのか」と。
地獄行きか。