イオリンの雑記

雑文の塊。

重ねるために

本谷有希子さんのラジオ「震動」を、更新されるたびに聞いている。第8回の中でChatGPTについてしゃべっていて、その中で「あいつらの言うことって大きくはダサいんだよね。多分、優等生に感じるダサさなのかな」と言っていて、完璧な言語化だなと思った。少なくとも僕にとってはそう。感覚的な部分ではあっても、きっとその感覚的な部分で重なっているところが多いから「ほんとそれな!」って感じられるんだと思う。一方で優等生に一抹のダサさを感じない人は共感しないんだろう。その本谷は「ここぞってとこは腹決めてダサいことをやんなきゃダメ」とも言っていた。ダサさがダメなこととは限らない、という視点も含めて重なっていて、嬉しくなった。誰かと対話するのは、絶対的な表現を見つけるためじゃなくて、感覚を重ね合わせるためだと思う。そこが重なれば、こんなにも通じ合える(気分になる)。野中郁次郎さんが「最初から客観なんてない。なんだって主観から展開する」と言っていたのも、多分こういうこと。きっとね。
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