あきらかに見る
SNSで「邪推がうまくなると人生が難しくなる」という言葉を見て、ほんとその通りだなあと感心した。邪推のほとんどはきっと誤解だし、邪推はしてもキリがないし、気にしても仕方がないし。でもきっと逆もそうで、だから僕は「感謝されている」という実感が持てなくて、それは失礼なことだなあと反省はするんだけれど、「邪推しない」と「希望的観測をしない(=信じない)」は隣り合わせな気もするよなあ。「信じることがうまくなると人生は難しくなる」とも言えるかも。信じようとすればするほど、邪推が濃くなりやすい。つまり信じなくてよくて、ただ、見ればいい。それが仏教的な意味合いでの「諦める(あきらかに見る)」で、僕が言う「仕方ない」もつまりはそれなのかね。