イオリン手記

小難しいこと言うんだね、キミは

2025年を振り返る。

2025年を振り返る。 年末はふと何をしていたのかなとこれまでの年末の文章を振り返ってみたら、その1年を振り返るような文書を書いていた。そういえばそうだなと思って今、筆を執っている次第だ。 ==== 今年一年、色々あった。色々あったが、激動というわけでもない。 一文にまとめるなら、「個人を越える仕事に挑戦したが、実らなかった」という一年だ。悲観的に聞こえるかもしれないけれど、これは歴史のハナシで、僕自身は平坦に捉えている。 おおよそ1年ほど前に、これ以上の仕事をするならば個人での労働を越えなきゃいけない、と思っていた。構造的な問題に対処するには、個人戦ではなくて集団戦に切り替えなければいけない。僕はソレが苦手なのだけれど、そう転換せざるを得なかった。 そして、有り体に言えば、それは実らなかったのだ。良い悪いのハナシはポジショントークに帰結するからしない。ただ、僕のアプローチや戦略、あるいは哲学は、状況と合致しなかった。もう少し踏み込むなら、遅きに失したのだろう。 ==== 繰り返すが、そのことに悲観的なわけでもなく、全ては仕方なかったのだと思う。その時その時で全力だったし、誰も悪意はない。その上で遅きに失していたのだから、仕方なかった。それ以上の感想は僕にはない。悲しいけれど、仕方なかった。 悲しいことばかりでもない。僕が集団戦に臨むなら、それは「所属している組織でがんばる」ではなく、「組織を創る」のほうがいいんだろうな、という確信が持てた。 その理由は、簡単に言えば僕のチーム戦略が、現代の日本社会からすると「変わってる」からだろう。だから、属している組織に持ち込もうとすると、忌避感情や反発が生まれてしまう。僕のチーム運営文化は、スポーツとか演劇とか芸事とか、そういうところから来ているのだけれど、それはどうやらITビジネスの世界では「変わってる」のだ。 ==== この業界内における文化面での「変わってる」という感覚は、実のところ結構前から感じていた。でも、それは僕の周りの世界に限ってそうなのか、それとも業界全体においてそうなのか計りかねていた。 が、色々調べ続けたり実践し続けたりしている中で観測班にを広げていき、いよいよ以て「これは業界内において広く、そうなのだ」と結論づけるに至った。すべからく、とは云わないまでも高確率でそうなのだ。 さてもそうであるならば、この業界文化において僕が歩む道というのはいよいよなさそうだなあ、と思っているのが現況だ。 繰り返すが、これは良い悪いでもなければ、悲観的になっているわけでもない。川が途中で二股に分かれているのを、「おっ、ここでこの川あ分かれるんだな」と見ているような、そんな風に捉えているだけだ。 ==== さても一方で、業界云々のハナシをしたのは僕が属している世界の外側を見る機会というのもそこそこ持てていたからだ。「ほぼ日」を見るようになったり、山に行ったり、あるいは「知らない人と食べる」といったような催しに参加したり。 先述したようにITビジネスの世界では「事実」かのように捉えられていることは、少し外側に出れば全く存在しないことなのだ。 「IT」は仮想世界において取り扱うモノのコストが少なく大量生産、コピペが簡単だから、ついつい「仮想のモノ」を現実にあるかのように扱ってしまい、逆に現実にあるモノを仮想のモノかのように軽視してしまう(それは情報化社会において蔓延する病かもしれないけれど)。 もっと具体的に、僕は今年ずっと、こう考えてきた。 「僕らは日々、一生懸命はたらいているけれど、果たしてその仕事は、カフェの店員さんが淹れてくれるコーヒー一杯よりも、価値を生み出しているのか。」 カフェの店員さんのコーヒーや、山小屋スタッフの丁寧な掃除や食事。あるいはギタリストのCDや、レストランスタッフの考え抜かれたおせち料理。あるいは、親子連れで水を飲みに来る鹿の群れ。 そういったものに対して、今日の僕は胸を張れるか。 ==== 次の一年がどうなるかは全く考えていないけれど、道は外れていくんじゃないかなあ、と漠然と考えている。少なくとも今はその道の上にいる。 よいお年を。
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