イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

お茶はおいしく

昨夕、「そろそろ○○さんとご飯に行こう」と思って手帳にメモをした。そのメモを朝見てみたら全然しっくりこなくって「まぁいいか」と思ってしまう。鮮度って大事だなあ。これって別に好き嫌いとかじゃなく、なんだったら好感度の波すら起きていなくって、思いつきのその「鮮度」が落ちてしまったというだけ。その人のことを昨日も気になったし、今日も気になったまま。ご飯を誘う、っていう意欲の鮮度がただ落ちただけ。誰かに対して最近連絡取ってないなあだとか疎遠になったなあとかも、別に好きじゃなくなったとかじゃなくって、その意欲の鮮度が落ちているだけで、ふとしたきっかけで連絡を取ったりもするわけだ。 でも、だからこそ鮮度って大事で、鮮度がいい時にアクションを起こせる状態にしておくってのも大事。仕事における優先度づけとかも、アレやりすぎると鮮度落ちちゃうんだよね。「はぁー!困ったなあ!」って思っているその瞬間、その鮮度を保ったままに走り出してレールに載っけないと、結局やらなくなる。まぁ本当にやらなくてもよかったね、っていうハナシもあるし、そのための優先度付けかもしんないけどさ。でもそうやって優先度ってやつを重視しすぎると、見える景色が色褪せていくし、「はぁー!困ったなあ!」に対して鈍感になっていくのも困ったものじゃないかな。 極端なことを言えば、すべてのことは100億年後には価値がないわけで、お茶を濁して生きているんだから、ちゃんと混ぜて濁して、おいしくお茶をいただきましょう。
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