イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

優しさ

いわゆる社会人というやつになってしばらく経ってから、イオリンさんは大人しいですねと言われるようになった。優しいですねとも言われるようになった。これを大学時代からの友人が聞いたらきっと笑うだろうし、もっと前の小中学生のころの僕を知っている人たちはもっと笑い転げるだろう。あの暴れん坊イオリンが?と。 まぁわかりやすく、昔は自意識が強くて精神年齢が低かったとは思う。まぁそれは今でもあんまり変わりないかも、とも思うけれど、昔はもっと誰かに何かを働きかけようという意識が強かったと思う。「僕が僕が」していた。それがなくなったのはひとつあるよね。「この僕の優しさを、受け取れーい」っていうのがあったんじゃないかな。それは優しくはないよね。今は「まぁここに置いておきますよ」くらい。 だから僕としては「優しい行動が増えた」わけじゃなくてむしろ減ってるんだけれど、傍から見ると「お、こんなちょうどいいところに優しさが転がってるワ」と。それに気付いた時に「優しいですね」になるのかな。なんだか書き終わったタイミングで恥ずかしい分析をしていることに気付いたけれど、こういうのを恥ずかしがらずにやるのも、何かの一助だと信じる。
優しさ
2025-06-13
脱力がベース
2025-06-12
自分にだって変えられないことはある
2025-06-11
「さようなら」「そしてこれからもよろしく」
2025-06-10
僕と君のショーケース
2025-06-09
人間って愛おしい
2025-06-08
夢中
2025-06-07
アイデンティティは流動的なんだ
2025-06-06
したくてたまらない
2025-06-05
その違和感は絶対にホンモノ
2025-06-04
眠れない日々
2025-06-03
ユニフォーム
2025-06-02
ツッコミ
2025-06-01
言葉じゃない存在
2025-05-31
私はいいのよ
2025-05-30
余白の創作
2025-05-29
手足で
2025-05-28
健全な接続
2025-05-27
やなこと言うなあ
2025-05-26
素敵な
2025-05-25
ままならないを味わう
2025-05-24
旅先と日常
2025-05-23
筆をとりたい時に
2025-05-22
風化
2025-05-21
言葉よりも先に
2025-05-20
面倒くさいこと
2025-05-19
なんか、いいねぇ
2025-05-18
よければ一緒に
2025-05-17
必ず
2025-05-16
お茶はおいしく
2025-05-15
巡る新しさ
2025-05-14
わかろうとする
2025-05-13
有り難い
2025-05-12
知らない人と
2025-05-11
朝のお通じ
2025-05-10
計画
2025-05-09
横書きと縦書き
2025-05-08
心が乗ればね
2025-05-07
黒煙をあげて
2025-05-06
デジタルでアナログを追う
2025-05-05
乏しいからこその表現
2025-05-04
「おろそか」ということば。
2025-05-03
川の流れのように
2025-05-02
広がりを求めている
2025-05-01
「やりたくない」と「やらせてください」が
2025-04-30
役に立つかはわからないけど、やったほうがいい
2025-04-29
人間味に帰ってくる
2025-04-28
届けばいいな、でいい
2025-04-27
手紙を
2025-04-26