「学ぶ」と「覚える」
何かを学ぶということは、0と1、YESとNOの世界ではないよなあ。どちらかというと染み込ませたり馴染ませたりすることだよなあ。
いや、0と1の世界の学びもあるのか。例えれば「大化の改新は645年だ」みたいなことは0と1。いや、でもコレは「学び」と呼ぶのだろうか。「覚える」と「学ぶ」というのは少し違うよな。
生成AIがやっているのも「覚える」のほうだよなあ。何を伝えて、何をお願いしても、彼らはそれらを「覚える」ことしかできておらず、学べてはいないのだ。その証拠に、覚えていることを消せば簡単に巻戻ってしまう。
で、生成AIがなぜ学べないかと言うと、それは身体性がないからで。つまりは、「学ぶ」には身体性がいるんだな。よく身体が覚えているというでしょう。それは知識を頭に詰め込むだけではなく、身体にしみ込ませてしまう。身体全体に染み渡るということが、「学ぶ」ってやつなんだな。
まぁ今、教育とは云わないまでも新人さんに指導をすることがあるけれど、「1回で変わることじゃないよ」というのを伝えつつ、何度でも伝えて、染み込ませる。これが一番大事だよな。実際そうすると、一度目、二度目までは繰り返すことがあったとしても、三度目くらいになると、ちょっと良くなっている。ちょっとずつ染み込んでいるのがわかる。それをずっと繰り返すということが学びなんだよなあ、と思う。
僕は「質よりも量」と思っているけれど、それを言い換えるなら、今言ったようなことになるのだろう。0と1じゃないから、染み込ませる必要があるから、何度も何度も伝えて、浸して、っていう量が大事なんだな。
近いところで、「いてくれるだけでいいんだよ」というのも繰り返している。