関係というフィクション
ある方が「信頼関係が」という言葉を発していた。それを聞いて僕は素直に「おもしろいことを言うなあ」と思い、一拍置いてはっとした。僕にとって信頼関係というものはそれくらいのフィクションになったのだな、と。
それはここ最近に至るまで「信頼関係」ってやつのためにかけたコストが、他の要因によっていとも簡単に崩れ去るような、そんなことが起こり続けてきたからだろう。幼少期からそうで、そこをいくら心がけようとも、成立することはついぞなかった。
いや、今でも信頼関係にある、と呼べそうな仲の方々はいるが、僕にとってそれは相関図上でのラベルくらいの位置付けなのだ。加えて、「特定の状況下で特定の何かをする上では頼ってもよい」みたいなステータスだ。そう、それは信頼関係ではなくステータスだ。
別に人間不信だとかでもない。犬猫鳥馬などと同じだ。たとえば鳥が飛んでいて、そいつらに不信感などは抱いていないが、一方で信頼関係があるわけでもないだろう。それと同じ。
まあ関係性ってのは大事だと思うが、信頼関係だとか、恋愛関係だとか、そういうふうに関係性自体をカテゴリにするのはどうにも危うい気もする。家族だって、家族関係である前に人と人である。親子だってそうだ。それを「親子なんだから」というから奇妙なことになる。関係性とは「間」にあるもので、流れ移りゆくものだもの。
恋人関係だから手を繋ぐのではなく、手を繋ぎたいと互いに思って繋いだその様を恋人関係と呼べるだけだ。川だから水が流れているのではなく、水が流れるサマを川だと呼ぶようなもの。