よければ一緒に
KANさんの楽曲の中に「よければ一緒に」という唄がある。この唄はとても素敵で今でも好きな楽曲なんだけれど、それはこの「よければ」言葉が僕自身が誰かをやる時の根っこだからだと思う。例えば友だちを遊ぶ時にも「よければいかが?」という誘い方をする。よければお会いしませんか。よければお茶しませんか。それはお願いじゃなくてお誘い。
それはお仕事でも同じかもしれないね。人に頼むのが苦手なのは「よければいかが?」という、お誘いという形でのお仕事のお願いしかできないからかもしれない。「よければやってくれません?イヤなら僕がやるんで」と。だからこそ上司部下とかそういう建て付けは苦手だ。一方で、この「よければいかが」でやるのが仕事も遊びも一番成立するんじゃないかなと思うんだよね。「仕事だからやってよ」っていうのは、なんだか恩着せがましいよな。
「よければ一緒に」という唄はおそらく結婚とか男女間の話だと思うんだけれど、僕はもし結婚する時があったとして、「よければ一緒に」という言い方をしちゃうんだろうな。それはある意味では男らしくないかもしれないけれど。「あなたを幸せにします」もなかなか恩着せがましい。「あなたと幸せになりたいと思っているから、よければ一緒にどうですか」くらい。