なんか、いいねぇ
「よくできてるね」っていう時よりも「なんか、いいねぇ」って思う時のほうが、実はイイものを作れていることがある。「よくできてるけど、なんかいまいちだね」ってことがいっぱいあって、そこはまぁ分解すると多分、「抜けがある方が愛着が持てる」とか「ストレスを克服する時時に満足感がある」とかそういう原理だろう。それらが集約されて「なんか、いいねぇ」がある。
一方で「よくできてるね」ってのは、作り手にとっての「なんか、いいねぇ」でもある。つまり、より完璧なモノを目指すというそのプロセス自体が「抜けがあるモノの世話」であり「ストレスを克服する行為」なので、純粋に楽しいところがあるのだと思う。抜けのない資料を作る、抜けのないデザインを作る・・・その行為が作り手側にとっての「なんか、いいねぇ」という仕事になる。でも、そこに夢中になりすぎると、実はお客さんの「なんか、いいねぇ」を奪ってしまう。それは作り手の傲りだ。それを防ぐには、もちろん「抜け目」も設計する知見の深さが必要だけど、何より「なんか、いいねぇ」を無視しないことだと思う。あるいは誰かの「なんか、よくないね」を説得しようとしないこと。
もちろん100%の「なんか、いいねぇ」ってモノは難しいと思うけれど、でもだからこそ仲間内くらいはみんなが「なんか、いいねぇ」って盛り上がるくらいじゃなきゃね。