イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

脱力がベース

肩の力がガチガチに入ってジタバタしている状態と、肩の力を抜いてスーッとしている状態。どっちがベストに近いかと考えると、大体は後者を思い浮かべるんじゃないかな。あるスポーツ漫画の中に出てきた例えでね、「水泳でもね、手足をバシャバシャ動かせばタイムが縮むわけじゃない。緩急を楽しむ余裕がいる」と。こう考えると水泳ってのはすごく難しい競技だなあと思う。今から「コンマ1秒でも速く泳ぐんだ」という覚悟を持ちながら、泳ぎというサイクルの中には「肩の力を抜く」みたいなことが必要なわけでね。まぁ水泳に限らずバスケでもバドミントンでも、あるいはただ走るというだけでも「脱力」ってのが重要だよね。 で、それってのはデスクワークとか執筆とかでも同じだよなと思う。インプットもアウトプットも、脱力してないと上手く流れないし。実際こうやって僕は毎日文章を書いているけれど、脱力している時は音楽を奏でるかのようにスラスラと文章が書ける。逆に頭が強張っていると全然出てこない。書いては消してを繰り返す。多分、企画書を書くとか、あるいは経理作業をするとか、そういうことにおいても似たようなハナシなんじゃないかな。どのような過酷な環境にいても、肩の力を抜いてフッと笑いながら。いやまぁ、とーっても難しいんだけれどね。 もちろん締めなきゃいけないところもあるし。たとえば格闘技における打撃は、打撃動作中、たとえばパンチを繰り出している道中の腕は脱力が大事で、対象にヒットするその瞬間にはぐっ、と締めないといけない。ぬらーーん、グッ!って。まき割りとかも同じだね。斧を振りかぶって降り下ろすその瞬間までは力は抜いて、薪を割る瞬間にグッと力を入れる。そういう脱力と緊張、弛緩と集中のバランスが案外と肉体的じゃない部分にもいるんだろうな。 在り方としては脱力。動作としての集中。そんな感じかな。
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