イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

物忘れ

正直に告白しよう。この手紙は1日後に書いている。昨日の朝、他の文章を書いていて、この手紙を後回しにしてしまっていた。そのまま、その日の終わりまで思い出すことが1回もなかった。気付いたのは翌日の朝、歩いていた時だった。 取り繕うことをちょっぴりだけ考えてしまったけれど、すぐに諦めた。取り繕っても仕方ないし、次の日は来てしまっているのだからね。素直に白状して、それで前日分と本日分を一気呵成に書いてしまおうと思って今、筆を執っている次第だ。 僕は物忘れがとても酷くてね。このような忘れ物には枚挙に暇がない。 古くは小学校の頃から。今の時代はわからないけれど、小学校の頃は、その日の授業の終わりに宿題や、親に渡すプリントなどをいただくでしょう。僕はそれらを悉く存在ごと忘れてしまう子どもだった。何度も母親に叱られたけれど改善せず、母が諦めて毎夜、僕のランドセルを引っぺがして確認する始末。そしてランドセルの底に、クシャクシャになったプリントを見つけるのだ。 そう思うと、「物覚えが悪くなった」のではなく、「最初っから覚えられなかった」んだな。物覚えスキルが育たなかったんだ。 一方で、僕は「物語」に関しての記憶はできるんだよ。過去のエピソードで友人が何気なく言った言葉や、その日のエピソードトークを、何年も経った後に僕の方だけが覚えている、なんてことは多い。 思えば学校のお勉強もそうだったな。僕は「化学」の勉強が苦手だったのだけれど、それは理由がなかったからだ。「アルカリ金属の性質とはこうです」というのを覚える。それができなかった。ずっと「それはなんで?」と言っては先生を困らせていたよ。 塾の先生、それもバイトの大学生の方だけが真剣に向き合って「イオリン君の知りたいことは、こういう本にはあるよ」と広辞苑みたいな化学の本を持ってきてくれたことがあったな。僕は受験勉強そっちのけでその本を読んでいたね。 こういう思い出も、ふとしたことでドアが開いて思い出せる。アルカリ金属の性質は今でも覚えていないのにね。
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