イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

雅楽と奉納

ふとしたきっかけから、最近、雅楽を聞きながらお仕事をしている。いわゆる平安時代や飛鳥時代に演奏されていた、古典音楽だ。これがなんとも、肌に合うのだ。今もイヤホンから流れる雅楽に身を揺らしながらこれを書いているところだ。 素人ながら語らせていただくと、雅楽は今まで聴いた様々な音楽とは明らかに違う特徴がある。それは「音階」も「テンポ」もあやふやというか、近代音楽の枠に収まらないところだと思う。ドレミファソラシドという均等音階ではないし、テンポも「表拍」「裏拍」とかじゃない。プワァーーーと音が広がり、合間の鼓のような音も拍にズレというか遅延があったり、鼓と管楽器とで、ちょっとズレていたりする。でも、それが音楽として成立している。 それが、近代音楽では味わえない「揺れ」の調子をもたらしてくれる・・・ような気がする。心臓が脈打つようなリズムではなく、波が引いては返すような、揺れの感覚。アップダウンも激しくないから、気持ちもずっと凪でいられる。 そもそもが神事である、というのも大きいのかもしれないね。自分たちに向かってくる、届けてくるような音楽じゃなくて、むしろ音楽というものを神仏に捧げる音楽でしょう。だからかもしれないけれど、熱が逃げていくような、あるいは荒波をすくい取ってくれるような、そんな感覚がある。 それにしたって、昔はあんまり興味でなかった雅楽や、あるいは神楽舞といったものに今興味が出てくるのは、年をとったということなのかね。
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