それはきっと愛とは呼ばないんだぜ
表題の文言が思いついたというだけで今、筆を執っている。まぁオマージュなわけだけれど、とはいえ考えていたことの一つの言語化になっているなあ、と思って、今実際に文字にした次第だ。
僕はたまに「優しい」だとか「愛がある」だとかそういう風に評されることがある。個人的には心外だなあ、と思っている。優しい、っていうのはまぁ相手が感じることなので、「あんまり優しくない世界で生きているのかな?」と思うくらいだが、愛については、おおよそそんなのはない。
ディア・ドクターというドラマで、こんなセリフがあるそうだ。目の前で転けかけた人がいて、その人をつい抱きかかえて支えた。その時のセリフ。
「あなた今、私を抱きかかえたでしょ。あなた私を愛してますか、愛してないでしょ。でも抱きかかえるでしょ、それですよ。」
また聞きなんだけれど、とても膝を打つ言葉だ。それは愛じゃない。僕は君を愛していない。でも困っていて、何かできることがあったら、してあげたい。それは愛じゃないんだ。僕は君たちを愛してなんかいない。熱いモノを触っちゃったら、手をひっこめるような、それに近いものでしかない。
性善説を唱えるつもりはないけれど、愛だとかなんだとか言う前に、そういう「反射」を抑えることなくできること。それがまぁ、肝要だと思う。逆に言えば、助けてくれたり、支えてくれたりした時に「愛してくれているんだね」とか言い出すと、途端にこじらせる。そんなんじゃあ、ないんだ。誰かを助けちゃう、ってのは。
それを愛だと呼ぶから変なことになる。「助けてくれるんだね、ありがとう」だけでいい。嫌われていたとしても、関係ないのさ。