イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

スカされ続けてきたから

少し前に、芸人の粗品さんが何かの審査員をして、その中で辛辣なコメントをしたところ、それを茶化された・・・といったようなハナシを見聞きした。その茶化しをウケて、粗品さんが「スカしたな」とコメントしたそうだ。 まぁこれはまた聞きでちゃんと審査の内容や場の雰囲気を見たわけでもないので、このことに関する是非を論ずるつもりはないのだけれど。この「スカしたな」という言葉はちょっと僕の胸にもクるものがあった。 スカす、というのは関西弁でもあるのだけれど、この場合は「真正面から受け止めない」ということだろうと思う。たとえば辛辣なコメントに対して真摯に受けとめるんじゃなくて、茶化したり腐したりする。これはまぁある意味では一つのお笑いではあるものの、あまり正道ではないんじゃないかな。 僕はお笑いではないにしろ、たとえば詩を書いたり、あるいは哲学をしたりした時に「スカされた」という体験は挙げればキリがない。詩を「ポエム(笑)」のように扱ったり、哲学を「考えすぎや」と切り捨てたりね。 僕が「僕の話したいことは、どうやら皆にとって楽しいハナシではないらしい」という感覚を持つに至ったのは、ある意味では幼少の頃よりスカされ続けてきたがゆえだ。 だからこそ、たまにスカされずに受けとめてくれる人や、あるいは同じ言葉を真剣に紡いでいる人や場を見つけると嬉しくなってしまうのだけれど。僕にとって御徒町凧さんであったり、あるいは松岡正剛さんであったりは、「そこに向きあって生きている人や世界があるんだ!」という嬉しさがある。 現代の冷笑文化ってのは、まぁまさしく「スカし文化」だからね。スカすってのはラクなんだろう。僕は粗品さんのたまに垣間見得る攻撃的な態度は好きではなかったのだけれど、この話題を見かけて、ちょっと好感が持てた。 ロザンの管さんとキングコングの西野さんの対談の中でも似たハナシがあったように思う。「変なことを真面目にするのが芸人やのに、変なことしてる人を変なことすんな、って言うのって変やん」と。よくよく考えれば正道なのに、スカされたりなんだったりする。そんなハナシは多い。 まぁ、スカすのってラクで気持ちいいからかね。
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