イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

公私混同

さてもクリスマス、僕は仕事を納めた。おおよそ今週は何かしが起きるんじゃねえかなあということに戦々恐々として過ごし、まぁおおよそ何かしがは起きたものの納めてみた。 とはいえ、僕個人としては仕事と私生活の区別はあまりつけていない。まぁあまり声を大々的に言うべきではないのを承知の上で言うけれど、公私混同上等な生き方をしている。 ひとつは、フリーランスとして生きてきた時間があって、そこで僕の仕事に関する基本姿勢が構築されたからだろうと思う。公私すべてでもって務めを成す、あるいは稼ぎを満たす。それを確立させ続けて今に至るから、今でも「公私すべてで事を成す」という姿勢に代わりはない。それは仕事でも旅行でも飲み会でもね。 あとはまぁ、たとえば考え事もそうだし、あるいはコツコツとモノを作っていくのもそうだけど、「自分以外が働いていない」という時間のほうが、どうしても進みが良いからね。普段の仕事で、それこそ冒頭に言ったような、「何かしが」が起きて、そこのサポートをするのは、それもそれとして仕事だし意味は多大にあるけれど、「コツコツとしたモノ作り」の進みは遅くなるよな。それは文句とか不満とかじゃなくて、ただの事実でね。 だから、一人で何かを考えたり、あるいは一人でできる準備であったりは、こうやって周りが休む時間のほうが進む。実際、休日にそういうことをしていることも少なくはない。でも「休日なのに」みたいな感覚もないんだな。公私混同上等だから。仕事中の自分も「僕」だし、休日の自分も「僕」であって、仕事をしたくなったら休日だろうと仕事の日だろうと関係なくやってみたい。 これはもう一つ、「ただパソコンの前に座るだけが仕事じゃない」って感覚も大きいだろうな。音楽聞いてるときとかゲームしてる時とか映画見てるときとか、仕事と言えば仕事だよ。活きるんだもんね。
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