イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

過去には在った、というだけのハナシ。

ふと、Wikipediaでフランス革命のことを調べ始める。フランス革命と言えばマリー・アントワネットを代表として、まぁ王政が倒れ、共和制となった、という事件だ。 さてもフランス革命はそうやって「ギロチン」とか「パンがなければ・・・」といったキャッチーなワードと共に、「良かったこと」みたいな扱いを受けている印象がある。なんなら喜劇とまでは言わないまでも、「因果応報だよね」とか「貴族がぜいたくした報いだ」とかね。 ただまぁ調べてみると、当たり前だけれどそんな単純なハナシでもない。当時を知る由もないし研究家でもない僕が何か言えたスジではないにしろ、バスティーユ襲撃や九月虐殺、あるいはヴァレンヌ事件などは、少なくとも在ったのだ。それは怖かったろう。恐ろしかったろう。それは僕らの多くが現代日本で味わうことのない恐怖だ。もちろん、それが起きたということは、それが起きるに足る不幸が民衆にも起きていたということだ。 ただ、それらを巻き起こしたのは紛れもなく「人間」なのだ。そして僕も、同じアバターを利用して、今この世界を生きているのだ。「そんな時代もあったね」と言ってもいいけれど、完全に切り離すわけにもいかない。 逃亡計画が失敗に終わって連行される国王夫妻が乗る馬車に、数多くの平民が押し寄せたらしい。果たしてそれは、サッカー観戦の末に起きる暴動と、あるいは交通事故車を見るために速度を落とす車と、警察や救急車を見にくる人たちと、一体何が違うのだろうか。 一方で、それは「過去に在った」ということあると同時に「今は無い」ということでもある。あるいは、日本では今のところ無い。ここはちゃんと認識しておかないといけないね。共感しつつ帰属しない。思い馳せつつ混同しない。「知る」ということにはそれ以上も以下もない。 ただ、こうして筆を執れていることには、何かしがに対して感謝をするよ。
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