イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

人並みの幸せ

あるフィクションの中で見た言葉がある。そのフィクションはまぁバトルアクションものなのだけれど、過去にまぁ色々とあった人造人間が物語の表舞台から姿を消したあとの人物紹介なのだが。 「その暮らしの中で心の平穏を獲得し、人並みの幸せを心の底から満喫している。」 この「人並みの幸せ」ってのは、最近なかなか聞かなくなったなあ、と心に残った。おそらく幸せが多様化したことによって使えなくなったのかなあと思いつつ、フィクションの中では「人並みの幸せが得られればそれで」といったふうに使われるものの、いざ「人並みの幸せ」を考えるとなかなかに捉えきれていない気がする。 多分、ちょっと前は「結婚して、いくらかの子どもに恵まれて、たとえ少々は貧しくとも日々を感じながら暮らせる」くらいのノリだったように思う。なるほど、これは現代に於ては通用しない。「クレヨンしんちゃん」の野原ひろしの生活像が現代においては「高望み」と称されるように。 まぁ現代においては現代なりの「人並みの幸せ」ってのがあると思うのだけれど、そこがすっぽ抜けているんじゃないかなあ。なんだかそれよりも「食っていくこと」が意識を奪いすぎているというかね。そりゃあもちろん大事だけど、食っていくことがそんなにも幅を利かせていていいのかな?と思う時がある。 先ほどのフィクション内の人造人間が今の悩みを吐露する会話がある。 「将来とか、家族とか、今日の献立とか、今の建築の仕事と最近興味を持った女性誌モデルとを両立できるかとか・・・」 そして「普通だな?」と聞かれて、「普通だが!?なんなんだ、なにか壮大な目的が無いと生きちゃいけないのか!?」とキレるシーンがある。全く以てこの通りだなと、笑いながら共感した。 先ほどの「食っていくこと」自体が壮大になりすぎている気がするんだよ。
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