我慢しているから
なんだろうなあ。「僕も我慢しているんだから君も我慢しなよ」みたいなことはいっぱいあって、さらにいえば紐解いてみたら「そんな我慢はいらんかったじゃないか」みたいなことが、往々にしてあるように思う。あるいは、時代が解決していたよ、といったことがある。
さて、わりとお仕事においてもコレがあってさ。いや僕の周りで何かあるとかじゃなくて、10年以上前にお仕事ってやつを始めた当初から感じていたことで。お互いに「なんかおかしーなー」と思いながら、でも相手も我慢してくれてるから僕も我慢しよう、みたいなことがある。そしてそこに支払われるお金がある。
これを僕は「お仕事」と呼んでいいのかなあ、と思っていて。まぁ僕の世界観ではこれはお仕事ではない何かなんだ。少なくとも「良い仕事」ではない。お金は稼いでいるかもしれないけれど、誰もうれしい思いをしていない。あるいは上司だけ嬉しい思いをしているけれど、それ以外の人たちはむしろツライ、みたいなね。それは良い仕事ではないよね。
なんでこんな話をしたかというと、最近なんだかまた「リモートワーク」への風当たりが強まっている感覚があるんだけど、なんだかそこの根底には冒頭に書いた「俺らは我慢しているのに抜け駆けするなよ」みたいな力学が働いているように思う。
たとえば「子どもの世話をしたいから在宅で」という意見に「子どもの世話をするなら有給とれよ」みたいな反論があるんだけど、おかしいでしょう。子どもの世話をしながらでも務めを果たせるのなら問題ないし、まぁ果たせないならダメ、っていう議論ならまだしも、一様に「在宅はダメ」ってのはどうなんだい。
もちろんダメなケースはあっても、それは「在宅だから」とか「仕事時間だから」とかっていう風な一様には言えないのではないかなあ。