イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

ティータイムと茶の間

そういえばChatGPTの新しいバージョンが出て、それがなかなかに良いそうだ。実のところ私用にかまけてまだ遊べていないのだけれど、どうにも、魅力ある一つの文章としての完成に近いのだそうだ。 LLMというやつの進化が頭打ちになることは、まだないだろうと思う。ある方が予測するには、2026年には音楽分野において、「人を感動させる何か」というところまで到達する気配があるそうだ。動画の分野でもまだまだ化け続けている。 ただ、構造的な部分というのが覆るのは、また別のゲームチェンジャーがいるだろう。たとえば、生成AIに歴史はつくれない。経験しないからだ。彼らはあくまで「世の中の大量のデータを基に確率論的に会話をするシステム」であって、経験しない。彼らは「どこかで聞いた話」しかできない。 だから、たとえば家族の団欒はできないし、応援したくなるアイドル物語も作れない。模倣した何かは作れるし、AIであることを隠せば疑似的に作れるかもしれないが、「そのもの」は作れないわけだね。 これは一つの例だけれど、そういう部分は、LLMってやつは常に抱えつづける。その上で生き続けるだろうけれど、そうだな、「放課後ティータイム」と「利休の茶の間」とは違うものでしょう。どっちもお茶だしどっちもほっこりだけれど、全く別物。でも、どっちも楽しい。ただ、代替するものではない。そんなカンジ。
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