イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

縁と結びと霊性

人と人とは繋がりすぎた、ってハナシは最近したかな。僕はずっと思っている。なんでもかんでも繋がるような世界観になっていて、逆にそれが故に、【結び】がしづらくなった。 「縁結び」という言葉もあるように、縁とは、結ぶことで繋がるものだ。古来、【結び】とはムス(産)・ヒ(霊)であるという。つまりは、霊力のあるものが生まれることだ。だから結びとは神事であり、結ぶための紐や綱が日本では霊性を帯びている。そして縁結びとは、「縁(えにし)」という霊力が結ばれることであり、縁には霊性がある。 さても現代においては、この【結び】が行われないまま、人と人とが、あるいは社会と社会が繋がってしまう。それはインターネットと呼ばれるモノだったけれど、その繋がりやすさがリアルをも侵食している。「結んでいないのに繋がってしまう」という可能性が、逆にリアルにおいて「やすやすと繋がらないために、人を避ける」という行動を生んでいるようにも思う。 つまり寂しさを補うのは繋がりではなく、【結び】のほうなのだ。人は誰かと、あるいは何かと結ばれていれば、寂しさは感じない。逆に、結んでいない繋がりが増えると、空虚さが生まれる。いや、正確には結んでいない繋がりは、縁ではない。霊性がないからだ。ゆえに疑う。ゆえに探る。「縁はあるのか」と。でも、結び目があれば、疑うことはないはずだ。 と、まあ言葉が少し深いとこに潜ったけれど、現代においては「あやふや」であるとされる霊性が、実は確固たる何かだったりするんじゃないかね。
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