時は流れて、僕は漂う
気温はすっかり暖かくなって、桜も散って緑色に景色が染まってきている。僕は日常、平常が好きだから、桜で浮いた季節が終わりを迎えたのは僕にとって喜ばしいことだ。密に寄っていた世界が疎に戻る。
家にある観葉植物も冬の間は凍えていたが、ここ最近でまた身を伸ばし始めた。特に数年前に友人からもらった植木鉢は冬の間はすべての葉を落としていて、毎年「この冬を越えられるかなあ」と思っていたのだけど、最近はまた青々しい枝が伸び始めた。すごいことだ。僕は暖房をあまりつけないにも関わらず、よく生きている。
季節はすでに春。周りでは「この間まで1月だったのに!」というハナシを耳にするが、まあ毎度のことながら僕は未だに時間が早いという感覚がない。今年も4月中旬だけれど、妥当だなあ、と思う。順当に1月〜3月を過ぎたよ。
おそらく僕は過去をあまり振り返らないのと、一方で「待ち遠しいなあ」という感覚があるからだと思う。先の観葉植物についても、僕はずっと「いつまた元気になるかなあ」と冬の間待ち続けてきたし、景色についても「寒いなあ、いつ暖かくなるかなあ」と思っていた。そういう待ち遠しさが、時間感覚を延ばしているんじゃないかな。
あとはまあ、過去を振り返らないから相対時間が変わらないんだろうね。そこには希薄なアイデンティティ、「ゴースト感」も影響するよ。昨日の僕は、僕じゃないのさ。