イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

年月なんてあやふや

僕はあまり年月というものを考えない人間だが、振り返ると37年間生きてきて、一見、新鮮な思い出もそれなりに昔だ。 昨日は大学時代の友人と話した。存外、僕らの会話内容が老いぼれていた。無意識に「会社の若い人たちと」だとか「まだ若い頃は」なんぞという言葉が出てくる。出てきた後に少し驚くけれど、冷静に考えれば大学時代はもう「半生も前」の話なのだ。「俺らが出会ってからはもう20年近く経つんやで」なんて話した。 他方で、僕らの生きてきた年月なんて、人間の歴史や地球の歴史からすれば瞬きほどもない。僕はたまに歴史について考えるが、2000年だって、ほんの瞬き、つい最近だ。僕らはなんだかものすごい積み重ねの上に経っているように思うけれど、実はそんなこともないんだなと思う。 多分、自分たちのおおよその寿命以上の年月は「はるか永い」と感じるようになってんじゃないか。それは100年・・・あるいは生物的には70年以上くらいが境目かも。それ以上の年月は「はるか永い」に分類される。いや、そもそも生命において「年月」を認識できること自体が稀であり幻想なんだけれど。 たとえば、昨日の文章を書くために調べて驚いたんだけれど、日本において平民に苗字が義務化されたのは、たった150年前だ。それなのに僕らは「苗字がないなんて考えられない」って認識になってる。それどころか江戸時代が終わったのでさえ、170年もないんだぞ。最近すぎるよな。 まあなんだ、何が言いたいわけではなく、年月感ってのはあやふやだし、僕らの積み上げたものは、偉大なものであると同時に、吹けば飛ぶようなものだよ。
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