イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

家族とファミリー

最近、ちょっと任侠モノの漫画を読んだりゲームをしたりしているんだけどね。つくづく日本の「家族」ってのは興味深いよなあ、なんて感じている。 家族って言うとまあ、通常は血縁関係を指すでしょう。でも日本において、血縁関係=家族ってのはあまり一般的じゃない。任侠・ヤクザ者が「なんちゃら一家」って言ったり、それに限らず落語や歌舞伎も家族だ。そして一家に加わった人間は「兄弟」になる。 これは戦国大名とかもそうで、織田家には秀吉とかも含まれていた。あくまで一門としての家族だ。当主には血縁が関係するけれど、家族というくくりでみると、そこに血縁はない。柴田勝家も明智光秀も織田家だ。 天皇家の血筋は1000年以上続いていて、それが意味を生んでいるから、血筋、血縁が軽視されているわけじゃなくてね。ただ、日本人が家族を成すのは、血縁じゃないんだね。人生を共にする、という縁を血縁以外で結んでいる。 そもそも日本には血縁を示す「苗字」なんてのは貴族階級しか持っていなかった。平民苗字必称義務令は1875年だから、150年しか歴史がないわけで。それまでは戸籍もないから、血筋は「村人の集合知」だ。 一方、古来の西洋において親父、つまりファーザーは「神父さん」になる。これまた興味深い。マザーテレサとも呼ばれる修道女もいたね。ファミリーは信仰と紐づいているわけだ。そこをベースとしつつ、カトリックが制度として「血筋」に神性を与えた。 こういうのを一つずつ見ていくと、そもそも文化差っていうのは致命的にあるよな。それをイコールにせずに許容して考えていくほうが、きっと多様性ってやつなんだろう。「西洋」って大きくくくったけど、多分西洋諸国でも違うはずだ。東洋諸国が千差万別であるようにね。
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