イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

古のゲーム特有の物語体験

相も変わらず色んなゲームをプレイしているが、最近のゲームはどれも声優さんが声を当てているものが多い。映画さながらのようなゲームでは声は大事な要素だし、他の演出がリッチなのに声だけがない、というのはどうにも格好がつかないし、声によって物語の深みが大幅に増す、というのはもちろんある。僕も声優さんの演技には毎度、感嘆する。 とはいえ、「テキストによる会話表現」というものでしか表現できないものも確実にある。糸井重里さんは、「ゲームでは"あなたが好きです"と言える」と語っていたが、これは声優さんが声を当てると違う表現となる。善し悪しではなく、違うものになる。マンガとアニメで違う表現になるのと同じだ。 僕は「クロノクロス」というゲームが好きだ。あのゲームは数年前にリマスターされたが、3Dモデルやフォント、イラストなどを洗練させたもののベースは原作と同じだ。アセット周りのリマスターに留まってはいるものの、個人的にはそれでよかったと思うし、リメイクはその実あまり望んでいない。それは、クロノクロスというゲーム体験は、乏しいポリゴンモデルと容量、テキスト会話によって生まれるものだ。 まあもちろん、クロノクロスがリメイクされたらプレイするだろうけれど、それは「リメイク作品」であって原作とは別作品だと捉える。FF7の原作とリメイクが全くの別体験であるように。そして多分、FF7のリメイクプロジェクトはこのあたりを考えた末に長年先回しにされ、現代になって動いたのだろうな。 今僕は「デイモン&ベイビー」というゲームをしている。これはRPGではないが、物語表現はテキストの吹き出しで行われる。その会話はやっぱり、テキストでしか味わえない。吹き出しの中にキャラの表情イラストがあり、それが数パターン切り替わって感情表現が行われる。こういった表現手法も、ゲームとテキスト会話でしか味わえない表現だ。
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