稼ぎには「ウハウハでんがな」感
きちんと生活することが大事だよ、ということを昨日書いた。ここで付記しないといかんのが、僕がやっている仕事は、「これをこの数こなせばOK」「ここで一定時間いればOK」というタイプのお仕事ではないということだ。最終的には「組織がハッピーになればOK」であり、そこには分かりやすい数字が発生するでしょうが、そのやり方は千差万別であり、アイデアがすべてだ。
であるからこそ、漫然とディスプレイを眺めたりキーボードを打ったりしている時間は邪魔だと言える。一方で、たとえば「来ているメールを1万回返す」というのがお仕事だった場合、漫然とメールを返信し続けることは邪魔なのか。それがお仕事なんだからいいんじゃないか、という主張がありうると思う。そして僕はこのケースであっても漫然としているのはもったいないと思う。
ただ、これは当人の性根などが主題ではなく、構造の問題だと思う。極論、メールを返信するごとにチャリンチャリンとお金が降ってくる装置が机上にあれば、漫然とメール返信はしなくなるだろう。「これが稼ぎになるんですわ」というのが明確であればこそ、稼ぎだと割り切れるし、「じゃあさらに1000件返信すればウハウハでんがな」となる。加えて「返信レビューによって金額変動する」という機構があれば真剣に「良い返信」を考えるだろう。そこが曖昧だから「これ、9千件返信するのと何が違うの?」「あの人が二万件返信してるから、僕はサボっていいよね」といった疑念が生まれ、まじめに返信する「ふり」をしてしまう。
僕は前から「稼ぎと務め」という話をするが、何も「稼ぎ」は悪だとか言うつもりはない。この2つは性質が違うものだから働くほうも対価を払うほうもちゃんと区別しなきゃいけない。「稼ぎ」をエサにするんなら、ちゃんと「ウハウハでんがな」を提供する必要があるし、働くほうも「これはウハウハに繋がるかな」と意識する必要がある。