イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

役に立つかはわからないけど、やったほうがいい

自分の文章はややもすると批判的になりがちな傾向がある。僕自身の根っこがネガティブというか、リスクになりそうな部分、悪い部分を見てしまいがちなところがあるから、書く文章もそういう問題意識に寄っていきがちだ。でもここは「手紙」だから、そんな悪いお便りばっか届いてきたら誰も見ないよね、ということで書いては消して書いては消してを繰り返している。もっとハッピーなことを書かなきゃね、と。 そういえば最近、会社のお偉いさんに相談に乗ってもらう機会をいただいた。僕がちょっと行き止まりというかどん詰まりにいる気がしたから、ちょっとお話聞いてくれませんか?とお願いをした。実は僕はこういう相談に乗ってもらうようなことは苦手だ。自分でなんでもかんでも答えを出してしまうから、普段は誰にも相談しない。でも今回はちょっと、その答えを出してしまうことが周りの迷惑になるかもだな、と思ったので相談した。簡単に言えば「今歩んでいるお仕事の方向性を見直したい」ということだから、話のスジを通さなきゃね、と。 で、まぁそこは色々話したんだけれど、その中で「イオリンさんのやりたいこと、その中でみなさんに役立つようなことを考えてみてよ」と言っていただいたので、最近すこし考えた。これはなかなかに難しい問いで、やりたいことってのは出てくるけどみなさんに役立つかどうかはわからないようなものばかり出てくるわけだ。例えば文章を書くのは好きだけど、それがみなさんの役に立つかはわからない。触り心地の良いシステムを作るのは任せて欲しいけど、じゃあこの「触り心地がいい」ってのは役立つの?って言われるとわからない。僕はそれが「良い」というのは自身を持っていえるけど、役立つかどうかってのは、結果論だから。 そう思うと、僕がやりたいことって、「役立つかどうかわからないけど、やったほうが良いだろう」ということなんだよなあ。「役に立つに決まっていること」なんて興味がないし、そんなものは誰かがやればいいとさえ思っている。そんなことよりも、役立つかわからない、失敗するかもしれないけれど、やるべきだと思うことをやりたいわけだ。モノづくりするにしても「こんな道具、あったほうがいいと自信を持ってお送りするけれど、使うかどうかは任せますよ」というモノづくりが好きだし。 これは最近よく口にするんだけれど、役に立つ、ってことはつまり問題を解決してくれるってことで、問題を解決するためには同じ問題意識を持っていないといけない。でも、この「問題意識が同じであること」ってほとんど経験しないんだよなあ。だからこそ、最後は「お任せしますよ」ってスタンスになっちゃう。でも僕にとってはそれが一番健全なんだよな。 なので、その会社のお偉いさんと話した時も「やりたいこと、できることはこんな感じです。でもそれがみなさんの役に立つかはわかりません」だなんてバカ正直に言っちゃって。まぁでもココは正直でいたほうが健全な気がするんだよな。お仕事だから、っていう理由でそこを隠して騙し騙しするのって、結局どこかで歯車が狂うんだよ。鈴木おさむさんも似たようなことを言っていた気がする。
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