イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

広がりを求めている

今は5月の頭なんだけどさ。僕はてっきり今週いっぱいまでがゴールデンウィークかなって思っていたら、実は来週いっぱいまでゴールデンウィークだよ、なんていう人もいてさ。今日も同僚が「ちょっと明日から海外に行ってきます」なんつっててさ。僕なんかはあまり連休とかを有給休暇で広げて長期で旅行にいく、っていう習慣がないから「ふーん、そうなんだ」なんて思うけれど、一方でどこかで羨ましさはあるんだよな。そういうことができていいなあ、って思う感覚はある。 でもじゃあいざ僕がこの連休で何かをするかというと、連休に入るまでは「大阪万博にでもいってみようか」とか「新潟とかそっちのあたりをぶらぶらしようか」とか考えていたんだけど、いざ連休に入るとあんまりする気がおきなくて。一つは、僕は多分今すんでいるこの長野県伊那市が結構気に入っているんだよ。朝起きて外に出るだけで中央アルプスをはじめとした山々が綺麗でさ。ここに引っ越してきてからもう3年近くなってくるけれど、いまだに毎日感動しちゃう。だから朝起きて、散歩しながらスターバックスにいって作業して、その後また1時間歩いて買い出ししながら帰路につく・・・っていうルーティンを送るだけで結構満足しちゃうんだよな。だから何時間もかけて遠出しようっていう気持ちにならない。 でもそれだとなんだか人生の幅・・・っていうと大袈裟だけれど、なんだか広がりが生まれないよな、とも思っていてさ。僕はひとりが好きだし今の毎日も気に入っているけれど、「海外に行くんだ」とか言うのを聞くと、いいなあ、って思う。ってことはやっぱり僕も広がりが欲しいなあ、って思っているんだと思う。正直に羨ましいなあ、って思う。 で、そういう広がりの最上級って「他人」になるのかなあって。今日、これはあんまりおおっぴらに言うことでもないけれど、交通事故の目撃者になってさ。目の前で車と車がぶつかって、その目撃者として立ち合ったのね。110番して、警察に少し話して。で、その間に現場にいた近所のおばさんと話したけれど、「あなたこの辺に住んでるの?」「そうですね、向こうのほうの十字路を超えた先に」「ああ、あの新しい家とかが最近建ってるあたり?」みたいな、他愛のない会話が新鮮で、場所が場所だけに不謹慎かもしれないけれど、楽しかったんだよ。広がりを求めてはいるんだなあ、っていう発見になった。 もちろん何か行動を起こして何も生まれないこともあるけれど、ちゃんと意識して広がりを持たないとなあ、なんて思った1日でした。
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