黒煙をあげて
良い文章を書ける時もあれば、やけに説教くさくなることもあって、なんだか書いているうちに「何を偉そうに」って自分でも思っちゃう。そう思って今朝、2回くらい書いては消してを繰り返している。こういう時はまぁ何かしらのフラストレーションが自分の中にあるんだろうな。それがうまいこと回路の着火剤になればいいんだけれど、そうならないことも多いじゃない。なんだか詰まりが悪くって黒い煙が出ちゃってて、一旦止めようか、と。止めて煤がついたパイプを一回外しましょうか、と。文章を書く時もなんだかそんな時がある・・・というかそんなことばっかりかもしれない。後から見返した時には、そういう煤や歪な形が「味」になったりもするんだけれどね。書いている時はプスンプスン、と黒い煙が出ちゃってて見れたもんじゃないんだよなあ。ハイになっていて気づかないだけで、心身が傷ついていたり疲れちゃったりもするしね。
他の人を見てもたまに「見てらんないなあ」と思うことがあるんだけれど、まぁ偉そうな話ではあるんだけど聞いてくださいな。そんな時ってのはつまり黒い煙がプスプスと出てきてて、オイル漏れとかしちゃってて、そんな状態でも走り続けているような時だよね。それでも少しの間は走れちゃうから気づけないんだよな。走った距離だけで見たらしっかりと走ってる。それに汗かいてがんばってる姿はかっこよく見えちゃうもんだからさ。ルパンにでもなったような気分で、「黒い煙が出てるけど走ってるぜ」みたいにシケモク燻らせてさ。でもそれって長くは持たないし、なんだったら黒い煙で迷惑な気分になっている人がいたりするんだよ。今これ書きながら全部、自分に返ってくるんだけどね。
車に例えたけれど、これは例えば「ていねいな暮らし」とか「豊かな生活」とかもそうでさ。なんだかそんな風な暮らしに自分を当てはめているけれど、黒煙が出ちゃってないか、みたいなことはよくある気がするよ。何をそんなに「ていねい」だの「豊か」だの「幸せ」だのを外向きにアピールしているんだい、みたいな、ね。結局なんだか説教くさくなっちゃったな。