イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

有り難い

友人と話していた時に所ジョージさんの話になって、ふと「最近、所ジョージさんの成分に触れていなかったなあ」と思って音楽をまた聴いて、やっぱいいなあ、なんて思った日々を過ごしているんですが。「幸せのひきがね」という本が出ていることを知って、AmazonのKindleで買いました。改訂版のほう。で、その前書きを読んでいたんですけれどね。「幸せというのは当たり前の手前にある」という話をされていて。もうここを読んだだけで買った以上の価値はいただいちゃったな、と思うわけです。 これおもしろいのが、「成長」ってのは当たり前を増やすことなんです。積んでいくということは、昨日できなかったことが今日できるようになり、明日には当たり前になるということ。そして、当たり前の上に新しい「できなかったこと」を積んでいくのが成長の道でしょう。つまり、成長ってのは「幸せを減らす」っていう要素がある。何かが「幸せ」だと感じられなくなっていく。例えば自転車に乗り慣れた人はもう、「補助輪が外せた!」っていう幸せは得られないでしょう。そんな感じ。一方で「両手離して運転できた!」っていう幸せは、「補助輪が外せた!」っていう幸せを失った先にある。つまりはただ成長をするだけでは幸せは減っていって、その先の不足・不便の要素を広げていかないと幸せは広がらないんじゃないかなあ、と。 結婚とか恋人とか、そう言うことに関しても似たようなことはあって。伴侶が「いることが当たり前」になっていくのはちょっと危険だよね、と。「有り難い」の字面どおり、誰かがそばにいること自体が奇跡なんだ、と。昨日と同じように今日もいて、明日もいてくれることが有り難いんだと。そういう想いが一緒にいる上で大事なんじゃないかなと思うよ。いないことが当たり前。気にかけてくれないことが当たり前。逆もそうで、自分のことも「誰かを気にかけることができてる時点でエラい」でいいんです。
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