イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

旅先と日常

今は東京に来ている。東京は「旅先」として訪れるには面白い場所だねと毎回思う。数年前までは僕も東京に住んでいたんだけれど、住む場所としては少なくとも僕には合わなかった。すごいストレスにまみれながら暮らしていたから離れられるとなった時はすごい喜んだもんだ。一方で旅先としてこうして訪れると案外と楽しくてね。「ちょいと美術館とかに行こうかなあ」なんて気持ちになってくる。住んでいる時はそんなこと微塵も感じなかったのにね。 一方で今住んでいる長野の伊那市はね、住んでいてもすごい楽しい。一方で、「旅先」として訪れた場合にはやれることって少ないと思うのよ。この楽しさは「日常」としての楽しさだからね。買い出しとか散歩とかで外を歩くと鳥や木々がざわめいたり川や雲の流れが綺麗だったり、っていうことは生活の中で味わうものだから。旅先としての自然はそりゃあ、もっとすごいところいっぱいあるもの。 一方で僕は「旅先で日常のように暮らす」っていうのも結構好きでね。旅館とかに行くけれど、どこにも出かけずご飯を調達して、あとは散歩したりカフェでお茶したりでゆったりと暮らす。僕が住んでいるところも、そういう心持ちで訪れたらすごい良いんじゃないかなあ、と思うし、実際友人らが来て「いいねぇ」っていうのって朝の何気ない時間とかだったりするからね。 まぁこれも人によっては真逆だったりするのかもだけどもね。
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