イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

素敵な

知り合いの夫婦というものと一緒にいたんだけれどね。彼らと過ごしていると、人と人とが一緒にいるってのはすごいことだねと毎回思うよ。彼らがどうこうというわけじゃなく、他の夫婦を見ていても思う。こう、相性ぴったりだね、みたいな2人ばかりでもないわけでしょう。そんな瞬間がないわけじゃないけれど、やっぱ人と人だから24時間365日一緒にいるのかい、というのはすごいことだよ。 だからこそ、四六時中一緒にいたいと思える人とそうできているだなんて素敵だなとも思う。もちろん酸いも甘いもあるだろうけど、それも含めて味わいたいと思えるなんてすごい日々じゃない。まぁそこには「素敵な日々であってほしい」という僕の願望もあるだろうけどね。そこを諦められないからこそずっと独り身なのかもしれないし。 そういえばキャンプに行く前にも少しだけそんな話をしたな。僕としては「世の中には素敵な方々がたくさんいる。そんな方々のうち1人でも【よければ一緒に】と言えるような関係性の方がいれば、それは喜んで、だよ」というような話をした。一方でそういう素敵な人を探しに行くようなことはしない。「どこですか、素敵な貴方」とそれありきで探すのは、なんだか歪な気がしてしまう。むしろ関係性を持つ上で、自然と「素敵ね貴方は」となるのが好きなのよ。それはデートとかそういう話じゃなくてね。ちゃんとゴミ出しするんですね、たまには朝起きれないんですね、コーヒーはブラックなんですね。素敵ですね、と。そういう積み重ねが僕は好きなのです。 キャンプみたいな場だと大学生みたいな会話をしちゃいますね。いや、思い返せばいつでもそんな話してるかもだね。
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