イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

手足で

僕は根っからのコンピュータ人間ではあるけれど、毎日のように「こいつは危ない道具だなあ」と思って過ごしている。というのも、コンピュータの世界だと、自分がなんでもできるような気分になるんだよ。そこには重力もなければ天候もないわけで、ある種人間の思い通りになる世界がある。特に最近はどんどん便利になって、生成AIに話しかければいつでもすぐに返答をくれるし、コンピュータが壊れることもどんどん少ない。電源がつく速度もどんどんあがっていて、「こう動くんだろうな」がおおよそその通りに動くような代物になっている。 そういうモノを扱っているとね、万能感が出てくるのよ。自分は賢いんだ、すごいんだ、だってこんなにも思い通りにできるんだから、ってさ。現実世界でこんなに思い通りになる物ってそうそうないでしょ。不確定要素ばっかりじゃない。自動車だって他の車や歩行者がいるわけだし、鳥のフンだって降ってくる。どんな素敵な召し物や日焼け止めで身を包んでいても、鳥のフンひとつで全てが台無しにされるような、現実ってそんな世界でしょう?それがコンピュータの世界だと全然起きないわけで。そうなると万能感が出てきちゃう。本来コントロールできないようなことまでコントロールできるように思えてくるのよ。 そうなるとね、いろんなものが歪んでしまう。同僚や部下、あるいは嫌いなアンチクショウや好きなあのコの気持ちまでコントロールできるかのような錯覚に陥り、尊大になっちゃったり、あるいはなかなか解決しない問題に対して、実態以上にデカく見積もっちゃったりね。ちゃんと世界を捉えることができなくなる。それは危ないよね。僕もお前もちっぽけなんだよ、ってことがわからなくなる。 僕なんかは本当に小さい頃、まだコンピュータが今ほど賢くない時代からパソコンに触れ合ってきたから万能感はあんまりないけれどね。それでもスマホとかなんだとか使っていると、自分が実態以上に大きく見えてしまっていること、分不相応なところにふと手を伸ばそうとしていることに気づく日もある。だからこそ、ちゃんと自分の手足で世界と繋がることは忘れないでおきたいね。
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