イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

その違和感は絶対にホンモノ

ちょっと前に、「物事を進めるには数学的なアプローチだけじゃなくて人文学的なアプローチもいるよね」といった本を読んで、それが結構いろんなことの説明がつくなと僕の中では腑に落ちてからは、人文学的な側面とちゃんと向き合うようにしていて。世の中でいつからかロジカルシンキングだとかビッグデータとかが幅を利かせてきてさ。なんだか世の中の物事がロジカルに説明がつくかのような感覚や、あるいはロジカルに説明ができないことがなかったことのように扱われたりなんかして。「なんかデータあるんですか」みたいな言葉が流行ったりね。 でもロジカルってやつじゃ辿り着けない部分とか、ロジカルの積み木を積み上げるやり方だと途方もないような時間と労力がかかる場所ってのがあって。そこに対して人文学的なアプローチ・・・つまり文脈・体験・主観といったアプローチを使えばすぐに辿りつけることがあるんじゃないかなあと思う。「まだ説明は追っついてないけど、でも良いとわかる」「データはないけど間違ってることはわかってるんだ」といったことが。 だから最近は、仕事でもなんでも、ある種の主観的な話をするほうが楽しい。全然説明はされていないけれど違和感だけが手渡された時とかに「おお、きたきた」って思う。その違和感だけは絶対に間違っていないし、「その問題はホンモノだぞ〜」と思う。そこにこそ取り組む価値があるとさえ思うよ。ロジカルなんてむしろ前提が違えば簡単に崩れるけれど、「違和感」ってやつは間違いないからね。 ただ、ここに取り組んでいくと、だいたい「同じ問題意識を持った人たち同士」で話があうんだけど、そうじゃない人たちに対してどうしていけばいいのか、ってところでいつも頭を抱えるんだよね。もちろん、「問題意識が違う人とは一緒にやらない」ってのも全然アリだと思うけれど、問題意識を揃えることさえできればあとは勝手に解決するのに・・・みたいなハナシもあるでしょう。 ただ、そこに必要なのも人文学的なアプローチじゃないかな。多分そういったことをより昇華していたのがスティーブ・ジョブズのプレゼンとかなのかもしれないね。Macbook Airを茶封筒から取り出して見せるなんて、体験以外の何者でもないもんね。
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