イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

したくてたまらない

責任、って言葉はすごい良い立場を与えられているけれど、実のところうまく作用はしないよな、と思う。最近は僕もなんだか手が広くなっちゃって、他者と関わることが増えてきて。そうなると「責任」って言葉がどこからか降りてくる。でもこの言葉ってこう、ロシアンルーレットみたいなものでさ。そんな言葉を取り出さないのが本当は一番いい。 あるいは、自分に向かって言うのは全然良い。「その任務は、拙者が責任をもってあたらせていただく」っていう。それは覚悟だからね。でも、「それはアイツが責任を持ってやるべきだ」っていうのは、あんまり作用しないよな。それが作用するように見えるのって「責任を果たせないと損するよ」って時くらいで、それは責任って言葉が仕事したんじゃなくて損するからでしかない。 その点ゲームってのはすごくて、あれは「損失を与えてくるから乗り越えて見せろ」っていう遊びだからね。いや、むしろ遊びってのは全部そういうことなのかもだけれど。マリオだって、「クリボー」「段差」「ノコノコ」っていう損失の設計をしているわけで。しかもそれらは全て勘違いなわけでしょ。だってクリボーなんて現実世界にいないんだもん。誰も「クリボーを踏むのはマリオの(=キミの)責任だよね」なんて言ってない。でもみんなせっせとクリボーを踏みつけにいく。踏みつけたくてたまらない。それってすごいことだよ。 仕事のハナシじゃなくて、なんか税金を払うとか、あるいはダイエットとかも、うまく設計すれば「やれと言ってないのにみんながやりだしてる」みたいなことにできないのかな、と思う。マイナポイントとかはもしかしたらソレなのかもだけど。「やりたくないのにやりだしてる」ってのはちょっと考えものだけどね。
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