イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

夢中

あまり自分が死ぬということに頓着がなくって。死ぬ、って書くと文字が強いけれど、言い換えれば未来に関しての頓着がない。「その時はその時さ」とわりかし大真面目に思っているし、その未来も結局「今」の連なりの先にあるんだから、「今」を大切にすることが未来につながることでしょう。今に優先される未来なんてないのさ、と。だから「未来訪れる自分の死」というものには頓着がない。そんなことより今に夢中。 今に夢中にしすぎてたまに「未来の自分に悪いことしたな」と思うような無茶をすることもある。わかりやすい話、次の日に仕事があるのに朝3時まで飲んだりとかね。でも楽しい、心地いい時間が「今」に流れていたら、それを引き延ばしちゃう。悪い癖なようにも思うけれど、一方で「あの時あれをしなきゃよかった」っていうふうに過去のせいにすることもあんまりないんだよな。なんだかんだ受け入れちゃう。「いいよいいよ、たまにはね」と。むしろ「よくやったな」とさえ思う。「夢中な時間をすごしたんだって?最高じゃん」って。 僕は多分「夢中」でいたいんだな。熱中とは少し違って、夢心地のような夢中な時間がね。もっと欲を言えばみんなにも夢中になってほしいな、と心の中でおこがましく願ってもいる。「いいね」って、言い聞かせるんじゃなくて、つい口に出ちゃうようなね。そうなるほうが、いいと思うんだよなあ。
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