イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

僕と君のショーケース

一言に「お仕事」って言っても、その捉え方や有り様なんてのはいくらでもあって。ただお願いされたことを淡々とこなして対価といただきます、というのも立派なお仕事だし。「自分はコレができるんだーと腕をブンブン振り回して、それを誰かが「欲しい!」と思ってくれることでお金と交換してもらう、というのもお仕事。どっちが良いとか悪いとかじゃなくて、つまり「欲しい」を提供して対価をいただくのがお仕事であり、そこに至るまでの姿勢とかはなんだっていいってこと。サッカー選手とかだってそう。そのプレイを見たいがために対価を払いたくなる人がいるから、お仕事になるわけだ。 さてさて、小難しいことを言ったけれどね。この部分が見えづらくなっていくのが、ホワイトカラーってやつだと思う。「欲しい」と対価の交換っていうのが目に見えるところで起きないことが多い。数珠繋ぎになっている先の方に「欲しい」があって、それを実現するためにアレやコレやとお仕事が派生していく。なんだかそんなことを繰り返しているうちに「コレはともかく、アレは誰が"欲しい"んだ?」ということが起きやすいんじゃないかな。もっとグロテスクなことを言えば「その会議は誰が欲しがってんの?」って会議ができちゃう。それは日銭は得られるかもしれないけれど、「お仕事」じゃないよね。 つまるところ、自分たちの「商品」は何なの?っていうところだよね。自分たちのショーケースには何を並べるの?と。たとえば僕の父は歯医者さんをやっていたんだど、たまに患者さんと揉めていたらしい。「不満ならヨソへ言って」と。それはある側面としてはダメかもしれないけれど、彼は「そこを曲げたら"商品"を提供できない」「客の機嫌を取るのは自分の商品じゃない」というのがあったんじゃないかな。 僕もね、なんだかよく「忙しいですもんね」とか言われるんだけれど、実質忙しくはないのよ。でも、忙しくしちゃうと、自分のショーケースに並べる商品が減ったりちょっと腐ってたりするんだよ。なんだか夜遅くまで仕込みしてるけど、ショーケースの商品はなんだかシケってない?ちょっと休みなよ大将、みたいなね。
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