「さようなら」「そしてこれからもよろしく」
先日、谷川俊太郎さんの追悼もかねた展示会「谷川俊太郎さん、ありがとう」に行った。僕はたまに詩を書くし、日本語の言葉というものがすごい好きだけれど、なぜだか谷川俊太郎さんという方のコンテンツに対してガッツリとのめり込むようなことはあまりなくって。もちろん、僕らは折りに触れて谷川俊太郎さんの何かに触れあってきたと思うんだけど、それとガッツリ向き合うという機運を得る前に谷川さんはこの世を去ってしまった。一方で、そのことによって機運が高まったのか、「今しかない」と思ったのでその展示会に行くことに決めた。
その展示会では、いろいろな方々が思い入れのある谷川俊太郎さんの詩と一緒にエピソードを交えて紹介されていて。つまり「今までありがとう」というような想いのあるモノだったけれど、僕にとってはそこが谷川さんとの出逢いとも言えるわけで。もちろん今までありがとう、生きてくれてありがとうという想いはあるんだけれど、何となく僕にとっては「ようやくあなたに逢えましたね」というような気持ちになって。で、なんとなくだけど、その「これからもよろしく」というのは、きっと本当に谷川さんと仲の良かった方々も想っていたんじゃないかなあ、と思った。つまり、谷川俊太郎さんはこの世を去られたけど、それはきっと形を変えただけだし、詩だったりなんだったり、それこそこの展示会だったりで、これからもきっと彼はこの世界に何かを残し続けるわけで。それはどうしようもなく「これからもどうぞよろしく」だよね、と。
そんなことを感じていたらなんだか嬉しくなっちゃって。その場で本を2冊くらい買っちゃってね。あぁ、これから僕は谷川俊太郎さんの詩やコンテンツと触れあっていくんだなという、間違いなくその場は僕にとって出逢いだった。
「花に嵐のたとえもあるぞ」という有名な詩の一節があるけれど、それに近いものを感じた。同じ「僕らの別れを誰かが出会いと呼んだ」という歌詞もある。そんな感じ。