言葉の世界
インターネット情報を調べると、まぁどこかしらのWebメディアに行き着く。そのWebページを開いて文章を読み始めるわけだけど、そうするとヘッダーやらサイドバーやらサムネイルやらが目に飛び込んできて、まず本文はどこかなと探すところから始まる。あるいは最近は「Cookieを有効にしますか」なんてことも聞かれる。はてさて、文章を読み始めるころには「読みたいなあ」と思っていた意欲がなかなか削られてしまっている。
一方でChatGPTとかに聞いてみる手もあるけれど、どうしても加工した情報になる。情報の確度は下がるし、それ以上に原文の熱量や質感といったものはこそぎ落とされてしまう。そこにはどうしてもChatGPTが届かない限界が、わりと手前のほうにある。
インターネット上で「文章を読む」ということは、意外と大事にされていないように思う。方向性がかなり尖っているんだね。とはいっても、インターネットの世界においては「書く」のも「刷る」のもコストが低すぎるから当然といえば当然なのだけれど。インターネットで文章と、言葉と出逢うことを楽しんでいる僕としては「なんだか出逢いが減ってきたなあ」と思う。
密やかな僕の野望としては、そういった文章の世界、言葉の世界をインターネットの端っこで構築したいなと思う。大通りに掲示される一要素として使われるのではなく、言葉が主役の世界。それは一種の「場づくり」だね。僕が自分の文章を残す場所としてDiarinというツールを自作したのも、そこへのチャレンジの一環かもしれない。文章が主役の世界。