コミュニケーションは言葉の外に
最近、「エルデンリング ナイトレイン」っていうゲームをやっているんだけれど、これがまぁ楽しくて。詳しい部分は省いてゲームをやらない人向けに説明すると、ディズニーランド回るようなゲームなのよ。つまり、広ーい場所にいろんなアトラクションがあって、そのアトラクションを無事クリアするとバッジがもらえて、そのバッジをそろえることで、新たなアトラクションへ挑める、みたいな。で、「1日で何個アトラクション回れるか」「最終アトラクションまでクリアできるか」みたいな。
で、このゲームは基本3人でやるんだけれど、友だちを誘わない限り知らない誰かと一緒にプレイする。即興で集められた3人で一緒にプレイすることになるんだけれど、このゲームにはテキストチャットもボイスチャットもない。言葉を交わすことはできず、地図にピンを差す(=旗を立てる)とかしかできない。でもそれがすごく濃密なコミュニケーションになっていて。つまり、ピンを差す行為が「次はあのアトラクションな!」っていう表現になってて、それが「次はあのアトラクション行きましょう」みたいな言葉よりもずーっと雄弁なのよ。
あるいは人によってはピンを打つ前に走り出す人もいるんだけど、それでも他の2人は「あ、あの人、次はあのアトラクションいくんだな」と気付いて一緒に走り出したりする。アトラクションの選び方にも癖が出ていて「こういう順番を選ぶ人なんだ」とか感じ取れる。あるいは「あ、今僕のこと待ってくれてた」とか気付ける。そうやっていくうちに、その日を終えるころには仲間意識が芽生えていたりする。その仲間意識は多分、言葉を使っていたら生まれないんじゃないかなあと思う。
もちろん、友だちと通話しながらプレイするのも楽しい。これはこれで、何も深い話はしていないのに、飲み会とかよりも仲が深まったりする。コミュニケーションって言葉を交わすことばかりじゃないし、むしろ言葉の外にある気もする。飲み会とかもそうかもだけれど、言葉を交わしながら、言外の空気とかを味わうことが関係性をつくっていたりもするんじゃないかな。