たかだか6歩
どこがどうとは言わないけれど、物騒な世の中だね。SNSはやれロボットが戦闘機を破壊しただの爆撃しただのみたいなのが溢れだして、どうにも物騒だし、それがジャーナリズムであると同時に消費されるコンテンツの一つになってしまっているのは、別の方向性で剣呑なことだなあと思う。
さても今日はすごい晴れたいい日でね。こんなに空が青くって、太陽がお元気いっぱいに空を照らしていてね。夏は暑いねって言って、それに勝ることってこの世界にあるのだろうかね。ある種それをもっと感じたいがゆえに僕は東京を離れたわけだけれども、なんとなくそういうモノをもっと感じるような日々が、みんなにも訪れてほしいし、それだけで素晴らしいことなんだよと僕は心のそこから思うのよ。やれ戦争だ、やれビジネスだ、やれビッグデータだ、そういうのもいいけどさ。それよりも毎日変わらず太陽がまわっていることのほうがずっとすごいよ。
ドーキンス博士の有名なハナシでね。1000年という時間を人間の1歩だとする。歴史を1000年さかのぼることを人間の1歩、おおよそ1メートルくらいの距離とするでしょう。1歩あるけば鎌倉時代。もう1歩歩けばキリストの時代。さらに1歩でメソポタミア文明の時代。そっから2歩でピラミッドの時代で、さらに1歩でアダムとイブの時代になる、と。人類の文明ってのは6歩。こうすると、アウストラロピテクスの時代はじゃあどんくらいかというと、3kmくらい歩かなきゃいけない。これでも地球の歴史からするとちっぽけで、三葉虫なんかは550kmくらい歩かなきゃいけないの。生命の起源までさかのぼれば3500kmにもなるわけ。立ち戻るけど、人類の文明は6歩だよ。
僕らは3500kmもの歴史の末端で足のサイズの半分もないくらいの時間を生きているだけに過ぎない。逆に言えば、僕らは3500km分もの奇跡の螺旋の先端にいる、途方もない奇跡の体現者だ。たかだか6歩程度の文明のマッチポンプに一喜一憂することなんてないのさ。きっとね。