イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

「きっと」

昨日、手紙の結びを「きっとね」で終えたんだけど、まぁ道中ではそれっぽいことを書いていて、その道中も言いたかったことなんだけれど、それらすべてがどうでもいいと思えるくらい「きっとね」と結べたことがすごく良かったなあ、なんて思って。いわゆるインターネットミームとして存在する「知らんけど」という結びがあるけれど、僕はコレがなんだかしっくり来ないから使わないんだけどさ。その「知らんけど」という表現を使いたくなる状況を、もっと正確に言い表した表現が「きっとね」なんだと思う。 そう思って"「知らんけど」よりも「きっとね」のが好きな表現だな。”とふとSNSに残したら、それが思いがえないくらい多くの人から反応をいただいて。僕の感覚を共有できたかどうかはさておきに、そういった言葉がどこかの誰彼に響いたのなら、それは素敵なことだなあと感じた。僕がインターネットやっていて好きなタイミングはきっとそこだね。 思えば僕は文章を書くうえで、「きっと」という言葉をそこそこ使うのかもしれないなーと思って、この「手紙」の上で検索してみたら、4日前くらいにも「きっと」で結んでいた。それ以外でもちょいちょい使っている。好きな言い回しなんだね。この「きっと」は、僕は信じているよ、という意味合いでの「きっと」であり、「知らんけど」とは間違いなく違うんだよね。むしろ「僕は知っているよ」のほうが近い。 そして、「きっと」という言葉のほうが、真実味を帯びていることがあるよな。「きっと○○なんだよ」って言えるようなソレは、限りなくホントのことなんだ。君にとっては。
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