イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

腕まくって笑う

来週、というか2日後の火曜日に東京に行く用事があるんだけど、今日このあと発とうか、それとも月曜の夜に発とうかというのを未だに決めあぐねている。僕はつくづく「予定」ってのを立てられない。もう少し正確に言えば「予定通りに進める」ということができない。トコトンまで後回し癖がある。しかも「間に合わなくなってから考え始める」みたいなことも普通にやるのよ。元々、「夏休みの宿題は全く手をつけずにごまかす」という手段を高校生までやり続けた人間だからね。 思えば色んなごまかし方をしたなあ。いや先生は気付いていたんだろうと思うけれどね。常套手段は「あ、家に忘れてきた」と「え、昨日出したって」「なくしたん?勘弁してぇや」の組み合わせね。他にも「え、まだページあったんや、気付かんかった!」で時間稼いだり。ひどい子どもだね。僕はひどい子どもだったのよ。それを18とかまでもやってんだから、今もってなおひどいのよ。三つ子の魂百まで、って言うでしょ。18になっても続けちゃう魂は来世まで続くんじゃないか。 結局、僕の中には「やりたいからやる」「やりたくないからやらない」以上にはないんだと思う。「やらなきゃいけない」は動機にならない。罰則があるタイプのモノとか、周りに迷惑をかけちゃうモノとかは「それはやだなぁ」と思うから避けていて。昔と違うのは視野が広がった「それはやだなぁ」が広がったというだけなんだと思う。ガス料金なかなか払わないのも究極「まぁガス止められた時に考えたらいいや」「風呂は1日我慢すればいいや」と思っている節あるもんね。実際止められても「いやぁ、良い経験だったな」って思っちゃう。 一方で、そう思えるような状態がいいなぁ、と思うの。つまり「おお、上手くいかないかもしれないぞ」っていう時に腕まくって笑えるようなね。チームを組まない一番の理由はきっとそこだし、チームを組むときに一番考えるのもそこだな。つまり全員が「上手くいかない時は自分でなんとかしよう」っていうのがないと、「イヤがってないかなあ」って気になるしね。「やりたいからやる」「やりたくないからやらない」は僕の周りのすべての人がそうであってほしい。それは別に綺麗な物語じゃなく、そういうときにこそ「いいねぇ」ってことができるんだと思っている。願っている、に近いね。
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