イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

僕の良いもの、君の良いもの。

良いものとはなんだろう。それはきっと人によって違うんだろうなと思う。これはつまり「絶対的な"良いもの"なんてない」というハナシであり、反イデア論、半プラトンの立ち位置になる。僕はきっとその位置にいるんだろうと思う。 その根っこはおそらく井上陽水さんがライブ中のMCで言った発言だと思うんだけれど、こんな感じの内容。 「最近、優しさについて考えているんですが・・・例えば一般的には女性を殴る人と殴らない人とでは、殴らない人のほうが優しいですよね。一方で世の中には殴られることが気持ち良い女の人もいるわけで。そうなると優しいってことがわからなくなってしまいますね。」 この発言の是非はともかくとして、まぁそれはたしかにその通りだなと思う。そうなると「優しい」というのは結局、人によって違う。僕はそれをたまに「世界観」と呼ぶんだけどさ。つまり、僕の世界観においては、優しさとはこういうもの。君の世界観においては、きっとそれは違うもの。そういうものだと思うのさ。 さて、そうなると「良いもの」というのは何かという問いに戻れば、結局それも「世界観」によるのよ。僕の世界観においては「これが良いものだよね」っていうものが良いものだし、君の世界観において「これは良いねぇ」っていうのが世界観。普遍的な良いものなんてのはなくって。例えば僕はオンボロの自転車を「味があって良いねぇ」「使いづらくて愛らしいじゃない」とか言うけれど、君にとっては「不便な悪いもの」かもしれないわけでさ。 そうなった時、結局よく言う言葉に戻るんだけれどその世界観が一致するところにいたいなと思う。「僕も良いと思うんだ」「君も良いと思うかい」「じゃあ一緒に歩いてみようか」ってね。「コレが良いはずだ」なんてのは、それこそ僕の世界観においては「良くないね」なんだ。「僕の良いもの」が伝わらないのは寂しい、悲しい気持ちがあるにはあるけれど、それも仕方ない。それがあるからこそ、「え、良いよね?」「うん、良いね!」ってなった時に嬉しいわけだしね。
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