ポーッと
お仕事でか飲み会でか忘れたけど、ふと僕が住んでいる長野の話になってさ。割と疲れたらポケーっと川や山や空を見ているという話をしたの。そしたら「会議とかじゃなくてみんなでそうやってポーッと見上げるのが、なんか解決するかもね」って話になってさ。
その場で出た言葉と捨て置くには惜しすぎるほどの良い気づきだなあと思って。会議だとか資料作りだとかなんだとか、仕事でやるようなそれっぽいことよりも、山や空を見ながらポーッとすることのほうが解決する物事ってあると思うのよ。特に色んな問題や思惑が変に絡まってるときにはさ。会議室にこもって色々話すよりも、ポーッと空眺めるのほうが色んなことを柔らかくしていくんじゃないかなあ。
東京にいると、そういう手段がなかなか取れないものね。取れなくはないけれど、「ポーッとする」っていうイベントになりがちじゃない。「13時に集合して、そっから二子玉川の河川敷にいってポーッとしよう」っていうとそれはもうイベントだものね。そうじゃなくってもう、ほんと「ねぇ、今からポーッとしに行こうよ」くらいがちょうどいい。
むしろ最近は会議やら何やらで解決することって、結構限られているよな、と思うこともある。それで進むことは色々とあるけれど、それよりも外側のポーッとしたことによって解決することや、あるいはそのポーッとしたことを省略しちゃうことによって起きてしまう問題ってのが、案外難しい問題としてのさばってる気もする。
それはつまり、「そんなものはなかった」みたいなこと。