reallyの世界
あるゲームの劇中歌にこんな一節がある。「I don't have anything that's really important to me. That's why everything is beautiful.(僕には本当に大切なモノなんて何もない。だからすべてが美しいんだ。)」この一節がとても好きで。音楽的にも好きなんだけれど、この言葉にある種、胸がスーッとなるというか、淀みが切り離される感覚がある。言葉や文章の意味以上に、そういうスーッとした質感が僕に流れてくる。
もちろん僕にも大切なモノはあるし大切な人もいる。昨夕話した友人も一緒に仕事している仲間も、あるいはいつも家の近くの電線で羽を休めているトンビくんだって大切。でも、そこに「Really」がつくと全部なくなる。自分自身でさえ、really importantじゃない。もちろんimportantではあるから、僕自身も、君のことも、ないがしろにしたいとかそういうわけではないんだけどね。でもreallyじゃない。そして、そのreallyの視点に立つと「すべてが美しい」という感覚にもなるのさ。
reallyから降りると苛立つこともイヤなことももちろんあるよ。歩きタバコはキライだし、荒い運転をする車に怒ることもある。あるいは自分自身の振る舞いに嫌気がさすことだってある。でも、それらも全然reallyじゃない。reallyの世界に立つと、そういったことが全部美しく、愛おしい。
戯曲「ファウスト」の「時よ止まれ、おまえは美しい」に近いものがあるかもしれないね。そしてそういうreallyの世界に立てることがあるから、自然の中を散歩するのがすごく好きなんだ。